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第一話:レールから外れる

10月 15th, 2014|Comments are off for this post


セブ島からこんにちは

私が今いるのは、フィリピン・セブ島。

リゾート地として注目されがちなセブですが、さまざまな側面が入り混じった面白い街なんです。巨大ショッピングモール、街のあちこちに見られる建設用クレーンからも伺える「急成長都市」としての側面。そのすぐ近くに見られるスラムエリアなど「開発途上」の側面。生活は思った以上に快適ですが、野菜と便座が足りません。

英語が準公用語で、人々は英語の映画を字幕なしで見ています。大らかな人が多く、コンビニの店員さんも、道ですれ違う人も、楽しそうに歌っている(しかも熱唱)のをよく目にします。大多数の人にとって一番大切なものは家族。特に若い女の子にとって、自撮りとFacebookは欠かせません。大家族が主流で、5人兄弟なども珍しくありません。セブ島には電車はなく、ジプニーという20円くらいで乗れるローカルバスが庶民の足。タクシーも初乗りなんと100円。

これが今の私を取り巻く「当たり前」。はちゃめちゃで混沌としている中に、楽しさと人の温かさが感じられる場所です。

想像もしていなかった海外就職

1年半前から、私はここで教育事業の立ち上げに加わり、週末はNPOで子どもたちに社交ダンスを教えています。その前はアメリカの会社で働いていたこともあり、大学を卒業して以来、日本で働くという経験をほとんどしていません。

日本の友人からは「変わってるね」「よくそんな思い切った決断をするね」などと言われることもあります。が、正直今の私の姿は、3年前に私が普通に就職活動をしていた時には全く想像もしていなかったものでした。

今回は、日本で生まれ育った私が、海外に出るきっかけを得るまで、自分のかっこ悪さも含めてさらけ出してみようと思います。

違和感の始まり

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私はこれまで、目の前に敷かれたレールをただひたすら走ってきました。

香川県育ち。うどんと自然に満たされる日々。何で勉強をするのかも良く分からないまま、ただ周りが勉強しているからという理由で、塾に通って勉強しました。一浪してまで目指したのは「良い大学」。理由は「良い大学に行くことは、自分に“良いこと”」だと何となく思っていたから。

念願叶って大学に進学するも、専門の法律に全く興味が沸かず、みるみる劣等生に。進路を決める時期になって、周りを見渡すと「官僚」「法曹」「就活」の3択。当時の私にとっては「就活」の1択。

よく分からないまま就活を始めてみたところ、いきなり愕然としました。自分には何もない。スキルもない、経験もない、やりたいこともよく分からない。目立った活動もしていなければ、勉強を頑張っているわけでもない。

そんな状態で私が選んだのは、エントリーシートを嘘のない範囲で綺麗に盛り付けること。相手が恐らく好むであろう模範解答を考えること。

キャリアの第一歩である就活で手を抜くのは、自分で自分の可能性を捨てているようなもの。本来の自分と異なる部分があったとしても、相手の求めるものに応えなければ選考には残れない。どこか自分のやっていることは本質的ではないという気持ちを抱えつつ、「そんなもんだよ」「みんなそうだよ」という言葉に流されて、ひと通り就活をしました。

「今すぐ変化する」ことへの恐れ

一方で就活を通して、思った以上の収穫もたくさんありました。何より私にとって大きかったのは、色々な働き方を知れたことだと思います。

まず、当初名の知れた会社という大きな箱の中に入ることしか頭になかった私にとっては、フリーランスや個人事業主の方、ベンチャーやスタートアップの方のお話はとても新鮮でした。

そして海外で働く人。私は短期留学くらいしか留学経験がなかったのですが、それでも日本以外で働くことに一気に惹かれるようになりました。

他にも、20代で将来の奥さんと世界一周を楽しんでいる方、30代でリタイアされた方など、自分で人生のペースを決めている方々にも、とても刺激を受けました。「このまま40年働くんだから」「学生時代は人生最後の夏休み」などの考え方を前提とする人もいましたが、私にはそれらの考え方はあまり合わなさそうだなと感じるようになりました。

ただ、それらの魅力的な生き方を目にしつつも、当時の私は結局自分にとって一番「無難」な選択をしました 。自分に出来る自信がなかったのも大きいですが、それ以上に自分が思い切った選択をすること、周りの人と違う行動を取ることを恐れていたと思います。海外で働くことも、「いつかチャンスが来るだろう」と自分に言い聞かせ、それ以上すぐに実行できる方法を模索することもしませんでした。

こけて生まれた新しい選択肢

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そんなある日、さくっと留年が決まりました。あまりにもあっけなく、想定外の形で、私は人生を考えなおす機会をもらうことになりました。

お世話になった方々にご迷惑をお掛けしたことは、この上なく申し訳無い気持ちになりましたが、留年しても、特に私自身に変化はありませんでした 。むしろ自由に出来る時間が数ヶ月増えたことは、私にとっては大きなプラス。

これまで、人と違うことやレールから外れることを恐れていたけれど、いざ外れてみると案外全然怖くない。ここぞとばかりに、興味のあったスタートアップでインターンシップを始めつつ、海外に出る道を模索し始めました。

一方で、 周囲の私を見る目は少し変わったように感じました。 私が楽しそうにしていても、「大丈夫なの?」「ななほはどんどん茨の道を進んでいくね」と心配の声をかけてくれる友人。

友人のフィルターを通して見える「私」と、私自身のフィルターを通して見る「私」が違うことを感じるとともに、今までの環境を変えてみることが、新しい気付きを与えてくれることに気付き始めました。

そんな時、紹介をきっかけに運良く決まったサンフランシスコでのインターンシップ。自分の「当たり前」が変わる、忘れられない経験になりました。

次回は、“「海外で働く」のいろいろ”というテーマでお話ができればと思います。

 


   

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西山 七穂(にしやま ななほ)
香川県出身。東京大学法学部を4年と3ヶ月かけてなんとか卒業。
サンフランシスコのクリエイティブエージェンシーbtraxでCEOアシスタント・プロジェクトマネージャーとして勤めた後、フィリピン・セブ島の語学学校「NexSeed(ネクシード)」の立ち上げから参画。休日は、セブのNPO「セブンスピリット」にて、スラムの子どもたちに社交ダンスを教えている。
ブログ:
「うぇーぶろぐ。」http://studyweb.hatenablog.com/
「せぶらいふ。」http://cebulife.hatenablog.com/

   

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