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並木麻衣さん – 海外就職・海外で働く日本人女性の情報サイトなでしこVoice
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並木麻衣さん

HamadaMari
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なでしこVoiceを立ち上げてから3ヶ月。これまでさまざまな方に出会って、多くの方からたくさんのアドバイスをいただいてきた。今回インタビューをした並木麻衣さんもその一人。大学を卒業してから3年、私たちとほとんど変わらない年代でありながら、中東への留学や企業への就職、婚約など、既に人生経験が豊富な麻衣さんは、私にとってお姉さん的な存在だ。
麻衣さんは現在、スーダンの障害者自立支援を行う団体の事務局長やNGOの業務支援、中東支援のチャリティーイベントの開催など、フリーランスとしてさまざまな場面で活躍されている。今回はそんな麻衣さんの活動の原点となった、パレスチナとイスラエルへの留学や、大学卒業後フリーランスになるまでの葛藤など、さまざまなお話を伺った。

「失わなきゃ分からないことってたくさんある」

並木:本当は今日、インタビューでちゃんと話ができるかどうか不安だったんです。ちょっと色々あったので。でもインタビューを受けることは、自分を振り返るキッカケにもなるんじゃないかと思って来ました。今日は元気をもらおうと思って(笑)。
実は友人が交通事故で亡くなったんですよ。この年になると誰でも周りの人を亡くした経験は持っていると思うんだけど、今回の衝撃は大きかった。彼とは学生時代に一緒にプロジェクトを立ち上げたりしていて。彼は大学院でウルドゥー語というパキスタンの言語を学んた人で、同時に世界の音楽雑誌を出版しちゃうほど文化としての音楽に精通していたんですよ。毎日学費や海外取材費を稼ぐために働いて、寝る間も惜しんで勉強しているタフな人でした。だから「車が当たったくらいで死ぬなよ」って思った。彼の研究や雑誌の出版は、彼にしかできないことだったのに。本当に、人生何が起こるか分からないよね。

濱田:その人にしかできない仕事。世の中に必要とされている方だったんですね。

並木:人が亡くなるっていうのは、毎日色んなところで起きている。でも、その裏にこんなに悲しんで、ものが食べられないくらいへこむ人がいるということを、身を持って感じましたね。

濱田:よく「必要な時に必要なことが起きる」っていうじゃないですか。でも麻衣さんのお話を聞いて衝撃というか、すごく不条理を感じました。

並木:私も「なんで彼なの? 彼が何か悪いことした?」って思ったよ。でも不条理は不条理のままで、理由なんて探しても何もない。散々泣いて、彼の仲間と彼を惜しんで、それなりに心が落ち着きました。今は彼が11月に発行する予定だった雑誌を仲間と一緒に作っているところ。

濱田:私はまだ友人を亡くした経験はないです。だから想像がつかない。でも想像がつくとかそういう次元じゃないんでしょうね。その人との関係性もありますし。

並木:失うって怖いことだよね。友人を亡くすという経験は、私にとっては体の一部がなくなったのと同じような感覚だった。でも人って、失わなきゃ分からないことも沢山あるんだろうね。

濱田:よく色んな本に「毎日を大事に生きよう」とかって書いてあるけど、「失う」とか「死」を経験した後では、生き方が変わる気がします。

並木:そうだね。彼の分までしっかり生きなきゃって思う。すみません、しんみりしちゃって!

「受験に失敗したから、今の私がいる」

並木:私、なぜか4年に一度転機が来るんですよ。今年は勤め先を辞めてフリーになったから、今回はこれで終わりだと思っていたんだけど、違ったね。今回のこと(友人を亡くしたこと)だと思います。。

濱田:これまではどんな転機があったんですか?

並木:4年前はパレスチナとイスラエルの留学から帰国した時で、その前は高校3年生の時。大学受験に失敗した時でした。

濱田:最初に高校3年生の転機について伺いたいです。麻衣さんは、浪人を経て東京外国語大学のアラビア語専攻に入学されたんですよね。麻衣さんが大学でアラビア語を勉強しようと思ったきっかけは何ですか?

並木:アラビア語を専攻していたけど、大学に入る前はロシア語をやりたいと思っていたんです。そう思ったのは、今まで触れたことのない、新しいことに挑戦してみたかったから。私は昔から器用なほうで、学校で新しいことを勉強しても、今まで勉強してきたことを応用すればなんとかなるって感じの子だったんだよね。ほら、短期間でそこそこのクオリティーを出す人っているじゃない? でも、初めてロシア語の文字を見た時に「あ、分かんない」って思ったんです。しかもロシアって隣の国なのに、私全然知らないんだって思った。それで、「ここからまったく新しいことに挑戦して、自分がどこまでいけるかやってみよう」と思ったんだよね。そういうのって最初は、優等生だとか、できない子だとかはなくて、みんなゼロから始めるでしょ? 私、他の人と一緒に、ゼロから挑戦してみたかったんだよね。だから語学をやりたいと思ったんです。その年の受験では東京外国語大学のロシア語専攻しか受けなかった。「私、絶対あの学校の、あの専攻に行く!」って。でも見事に国語で失敗して落ちた(笑)。「母国語だからいける」って舐めてかかっていたんですね。でも、あの時落ちていなかったら今の私はなかったから、それも良かったかなと今は思っています。結局浪人しました。何かに落ちるというのは、人生でこれが初めてだったんです。それが18歳の転機。「あなたがこれから社会で生きていくには今までのやり方じゃいけないから、もうちょっと何かやり方を探しなさい」というメッセージだったと、今は捉えています。

「誰も教えてくれないなら、自分でここの言葉やって、自分で見つけて、自分で発信していく」

並木:「アラビア語をやろう」と思ったのは浪人していた時。入試で落とされて、全部最初からやり直している時に、よくニュースを見ていたんです。当時はイラク戦争の後の様子が、毎日毎日テレビで流れていました。今日は市場で何人殺されたとか、女性が自爆テロをしたとか、悲しいニュースがいっぱい出てくるじゃない。でもなんだかふと思ったんだよね。「本当にそんなに悲しい地域なのかな?」って。「戦争の中ではみんな悲しんでいるだけなの?」「死を待っているだけなの?」ということを考え始めました。みんな「かわいそう」とか言うけど、「かわいそう」って本当は、人ごとだと突き放すひどい言葉なんじゃないかって思ったんです。それで「悲しい様子以外を誰も教えてくれないなら、自分でここの言葉やって、自分で現地の色々な面を見つけて、自分で発信してみよう」って思ったんだよね。当時はジャーナリストになりたかったの。

濱田:それが浪人生の時だったんですね。

並木:アラビア語とロシア語で迷ったんだけど、最終的にアラビア語に傾いたのは、ちょうどそのニュースを見ていた浪人生の夏だったかな。

「親には猛反対された(笑)」


並木:パレスチナとイスラエルに初めて行ったのは大学3年生の時ですね。外大って語学をみっちりやるから、大学2年生までは語学ばかり勉強していたけど、大学3年生でゼミに入ってやっとジャーナリズムとか社会学とか、他のことも深く勉強し始めたんです。ちょうどその頃、友人がシリアに留学して、「おいでー」って言われていたんです。でも「シリアに行く」っていうとさ、みんなびっくりするじゃない。「大丈夫!?」とか「テロに気をつけて!」って(笑)。それでも、現地に行くなら友人のいるところに行ったほうが安心だし、現地の生活を見られるし、良い機会だと思って。その時「折角現地に行くなら、自分がそれまで地域研究で少し触れていたパレスチナとイスラエルにも行ってみよう」と思ったんです。親には猛反対されましたけどね(笑)。真里ちゃんも、世界一周するって言った時は親に反対されなかった?

濱田:私は、中東はトルコしか行かなかったのでそうでもなかったですけど、パレスチナに行くって言ったら反対していたと思います(笑)。それで麻衣さんはどうされたんですか?

並木:何とか親を説得してやろうと思って「現地にいる日本人の大人に会いに行く」という名目を頑張って作りました。これからこの地域のことを勉強するから、って言って、現地のJICAの人たちに「プロジェクトを見せてください」ってお願いして、アポを取ったんです。「日本人が働いている場所だから大丈夫だよ!」と言って、親を説得しました(笑)。

濱田:ちなみにそれって何回目の海外旅行だったんですか?!

並木:人生で2回目でした。

濱田:すごい! 初めての中東で、しかも1人で行ったんですね。これは私もよく聞かれることなんですが、怖くなかったですか?

並木:どう? 真里ちゃんは怖くなかった?

濱田:そうですね、私は怖いというよりワクワクの方が強かったですね。

並木:そうだよね。でもワクワクしてても、ドキドキするっていうのも少しはあるよね(笑)。私も多少はドキドキしてた。シリアは友達がいたから良かったんだけど、その後1人になった時にやっと「やばい!私、2回目の海外でこんなところ来ちゃった!」ってじわじわ実感しました(笑)。それでも「行かなきゃ!」と思って、次に入るパレスチナのことを調べていたら・・・ちょうどニュースが飛び込んできたんです。私が行く予定だったJICAパレスチナ事務所の前の刑務所が、爆撃されたっていうニュースが。

濱田:え、本当ですか?!

並木:その時は私も「やばい、私行っちゃいけない!」って思ったんです。だから爆撃のあった地域を飛ばして迂回して、次の目的地だったエルサレムに行こうと思ったんですよね。それでヨルダンのアンマンでバスの運転手に、迂回するルートを伝えたのに、運転手が勘違いしてしまって爆撃のあった街へまっしぐら(笑)。それに気がついた時は、もう顔面蒼白。「やばい、私、爆撃が起きたところに突っ込もうとしてる!」って。でも、もう戻れない。しょうがないから入りました。

「彼らの人間性がわからないと、悲しみの温度は伝わらない」

並木:パレスチナに入った後、実際に爆撃のあった地点に行ってみたんですよ。そしたらもう瓦礫の山で。血とかも残っていたりして。そこでは現地の男の子が案内役を買って出てくれました。っていうか勝手についてきたんだけどね(笑)。彼と歩きながら、「ここで何人死んだ」とか「これが銃弾の後」とか、色々と説明してもらいました。私もすごく真剣に聞いていたんだけど、一通り終わったあとに、その男の子が「で、これからコーヒーでもどう?」ってナンパしてくるわけ(笑)。「今そういう場面じゃないだろ!」って思ったんだけど、その瞬間ちょっと力が抜けたんですよ。その時は「何言ってんのこいつ、アホか!」って思って断ったんだけど、その後で思い出したのが、なんでアラビア語を始めようと思ったか、ってことだったのね。私アラビア語始めた時に思ったのは、「本当は、私たちが思っているほど、現地はあんまり怖くないんじゃないの?」って感じていたからだったよな、って。あの男の子もここで生きて、生活しているんだから、ナンパくらいするよなって(笑)。 むしろ「女の子を見たら声をかけちゃう人たちなんだ」というくらいの人間性が分からないと、悲しいニュースも悲しくは伝わらないんじゃないか、悲しみの温度が伝わらないんじゃないかって思いました。アラビア語を始めて2年が経った時のことでした。

濱田:彼のナンパによってブレイクスルーしたわけですね(笑) 。

並木:そうですね、ナンパされなかったらそんなこと思わなかったもんね(笑)。それもあったから、日本に帰国した後「留学しよう」と思ったの。ナンパするような男が住んでるようなところなんだから、学生が1年間住むことくらいできるはずだ!って(笑) 。その3週間の旅で決意しました。現地に行った時に「大学がある」っていうのは聞いていたから、自分でもいろいろ調べて、無理やり英語でレターとか書いて、無理やり先生に書類をだしてもらって。で、「行きます!」と。先生達も含め、周りは盛大に止めてくれました(笑)。ちょうどイスラエルがレバノン南部を攻撃したりして国際情勢が不安定だったから、「何も知らない女の子が行くなんて正気か?!」って。でも私はそれでも行くんだ!って言い張って、行っちゃいました(笑)。

「郷に入れば郷に従え」

濱田:留学の一番の目的って何だったんですか?

並木:現地では、アラビア語のパレスチナ方言を学んでいました。とにかく住んでみたかったんです。実際に住んでみて、どういうところなのか、どんな人たちなのか、自分なりに発信したかった。あとは政治学を勉強したかったのね。日本でパレスチナ問題を勉強すると、人権とか正義とか、そういう観点から見ることが多いじゃない。「他の見方ってないのかな?」って思ってました。だからパレスチナ問題をパレスチナではどう教えているのか知りたかった。でも私は日本人で、できれば両方の視点から見たいと思ったから、パレスチナの後にはイスラエルへの留学も決めていました。

濱田:パレスチナでの生活って、一体どんな感じでしたか?

並木:実際にパレスチナに住むって、どういう生活をするのか想像つかないでしょう?私も行く前は「ホコリだらけでネズミと同居」レベルの家を想像していたんです(笑)。でも意外にキレイな石造りのアパートでした。キッチンもアメリカ式だしね。アパートではドイツ人、フランス人、スペイン人、アメリカ人、パレスチナ人と一緒に住んでいました。全員女性ね。未婚の場合、男性と女性は一緒に住んじゃいけないという現地の習慣的があったから。でもさ、私たちって、どうしても海外の視点を持ち込んでしまうんだよね。日本では、男の子と意気投合したらメールアドレスとか電話番号とか交換するのって普通じゃない。でもそれは向こうではありえないのね。

濱田:それ分かります。一つステップが飛んでしまうんですよね(笑)

並木:そうそう、「こいつ、俺に気があるのか」って思われちゃうんだよね(笑)。勝手に「ジャパニーズカールゲットしたぜ!」みたいに思われちゃうの。でもまぁ、日本人の女の子だって同じようなもので、あんまりほめられることないから、海外の男の子にほめられると嬉しくなっちゃうんだけどさ(笑)。アラブ諸国に行くとそういう体験はいっぱいあるみたい。私たち外国人の女の子と、現地の男の子の意識の違いの顕在化。日本の感覚で電話番号を教えた男の子からは、1日20回は「何してるの?」って電話が掛かってきました。だから、アパートでは常に誰かの携帯が鳴っていましたね(笑)。私はそんなつもりがなくても、相手は完全にロマンスモード(笑)。「郷に入れば郷に従え」ってすごく大切。私たちはこういう文化圏から、こういうスタンスで来てるんですよっていうのを現地の人に理解してもらいたいっていうのもあるけれど、それをゴリ押ししてもいけないんだよね。反省したりしました。


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