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久野愛子さん

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きっかけを大事に、意思をもって流される

濱田: 海外にはいつから興味をもたれていたのですか?

久野:高校1年生の時に2週間オーストラリアのホームステイに行ったのが初海外でした。今でも毎年カードのやりとりをするくらい仲が良くて、本当にあたたかい人たちです。彼らと出会ってから「海外って面白そうだな」と感じるようになりました。大学4年間は英語劇を作るサークル活動に熱中。でも、頭の片隅には「海外に行きたい、海外で勉強したい」という気持ちがありました。休学をするという選択肢もありましたが、当時は「1年ずれたらサークルができない」とか、「友達と同じ時に卒業できない」という不安の方が大きくて。交換留学は1年間しか海外に滞在できないし、日本の大学卒業後にもう1度海外の大学に入学するのも何か違う……とモヤモヤする日々。そんな時に、親から「海外の大学にマスター(修士号)を取りに行ったら」という思いもよらない選択肢を聞いて、アメリカの大学院への進学を決めたのです。

濱田: 大学院ではどのような勉強をされたのでしょうか

久野:3年間かけて、英語教授法と教育学を学びました。大学院に入学した時は英語教授法のマスターだけを取る予定だったんです。しかし、大学院に入った後で日本語学科があることを知って、日本語を勉強しているアメリカ人生徒のチューターをすることになりました。すると「日本語教育も面白い!教育学のマスターも取得したい」と思うようになり、結果的に2つのマスターを取得することになったのです。

濱田: 大学院を卒業した後の進路を教えて下さい

久野:大学院で教員免許も取得していたので、アメリカの公立小学校で4年間働きました。授業や生徒との関係性作りだけでなく、保護者とのコミュニケーションや同僚たちとの付き合い方に至るまで、全てが初めての経験。アメリカの学校文化に慣れるのはとても大変でしたね。カルチャーの違いを教えてもらうこともできないので、失敗しながら学んでいきました。

アメリカでの就労ビザを更新するタイミングで、もう3年間アメリカで生活することを想像した時に、何だか違和感を覚えたんです。当時の職場で学ぶべきことは学び尽くした気もしていました。次のステップに迷っていたところ、以前から興味があった内閣府主催の「世界青年の船」という事業に応募年齢に制限があり、私の応募できる最後の年と知りました。もう今しかないと思って、参加することにしたのです。このように、自分に来たチャンスを大事にしながら、柔軟に人生を選択してきた実感はありますね。

教員試験に落ちたから、シンガポールで働けた

久野:「世界青年の船」に乗ろうと思ったタイミングで、アメリカから日本に半年ほど一時帰国しました。実はその時地元の高校の教員試験を受けていたのですが、落ちてしまったんです。アメリカから帰ってきたばかりの私は、何だかツンツンしていたと思います。採用試験の面接の場で刺激のあることを言いすぎたため、絶対落ちたと自分でも確信していました。

濱田: 「世界青年の船」に参加後はシンガポールで働かれていますよね

久野:船上での経験が繋がって、現在はシンガポールで日本人学校の教師をしています。「海外子女教育振興財団」という、海外の日本人学校で働きたい人と採用側の学校を繋げる団体があり、船での活動が終わった後に海外の日本人学校で教員をするために応募しました。船の活動の中で「さんさ踊り」という東北地方の踊りができるようになったのですが、活動が終わった後もさんさ踊りを続けていたので、このことを履歴書に書いたんです。すると、応募をした学校のシンガポールクレメンティ校に、さんさ踊りに馴染みのある地域出身の教頭先生がいらっしゃって。後日、「さんさ踊りが私を採用するきっかけになった」という話しを知った時は、何がキャリアに繋がるかわからないものだなと思いました(笑)。

この結果が出た時、知り合いの中に「シンガポールに行くために埼玉の教員試験に落ちたんだね」と言ってくれる人がいて、私自身とても納得しました。教員試験に落ちて深く落ち込んだりはしなかったのですが、それはきっと何事に対しても「こうなったら失敗だ、不幸だ」と考えない性格だからかもしれません。どこにいても自分次第でやりがいや幸せは見つけられると考えているので、何を選択しても間違いではないと思えます。

濱田: シンガポールでの暮らしはどうですか?

久野:シンガポールはインフラなど環境が整っているのはもちろんのこと、多様性があって面白いです。色々な民族や宗教、そして言葉を寛容に受け入れている国という印象。でも、そろそろ違う場所に移ることも視野に入れていますね。身の回りの環境やコミュニティーに慣れてきて、すごく楽になっていて。とても楽しいのですが、このままではいけないと思っています。自分をまったく知らない人たちばかりの環境に自分を放り投げてみて、そこに根付けるかどうか挑戦するのが好きなんですよね。

英語を通して見える世界の広さを教えたい

濱田: 海外に住むと自分の価値観を見つめ返すきっかけにもなりますよね

久野:その通りだと思います。あとは現地の人から学ぶことがとても多いです。日本人ではない人と会うことで、「こうでなければならない」という凝り固まった自分の考えが崩されて、色々な生き方を肯定してみることができます。私は学校の先生なので、そういった多様性を自分で噛み砕いて子どもたちに伝えることに使命を感じています。学校では「絶対に時間を守りなさい」と言われますよね。ではなぜ時間を守る必要があるのか。時間に対する概念が文化によって違います。そういうことについて子どもたち自身に考えてもらいたいんです。

自分とは違う文化や人と出会った時に、自分と同質のものしか知らないと、それが怒りやストレスの原因になってしまいます。そうならないために寛容な心を育てたい。だから、あえて揺さぶる質問を子どもたちにたくさん問いかけています。そのように考えるきっかけを与えたくて、教師を続けているのだと感じますね。

今働いているシンガポールの日本人学校には、親の転勤などでたくさんの生徒が通っています。すごく勉強ができる子もいるのですが、勉強以外にも何か夢中になれるものを自分で見つけて欲しい。絶対に、これからの世界を変えていく子たちですから。

濱田: この先も先生を続けていかれますか?

久野:学校という場所にこだわらずに、子どもたちに考えるきっかけを提供して、英語を通して見える世界の広さを教えたいなと思います。講演会やワークショップなども面白そう。教育も人それぞれ、先生も人それぞれなので、さまざまな形で続けていけたらいいですね。


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