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西尾亜希子さん

濱田 真里
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マレーシアで起業してAtoZという日本語学校を作られた西尾亜希子先生。常ににこにことしていて優しい西尾先生だが、その雰囲気から伝わってくる心の強さが非常に印象的だった。ご自身も日本語教師として働く傍ら、学校の経営もされるその力の原動力や、今後の目標について伺った。

「見たことないものを見てみたいという気持ちが強いんですよね」

濱田:まずは西尾先生がどんなお仕事をされているか教えて頂けますか?

西尾:マレーシアでAtoZという日本語学校を経営しながら、日本語教師をしています。主にマレーシアの日系企業で働くマレーシア人を中心に教えているんだけど、今は現地の人を雇って英語や中国語も教えています。

濱田:先生は今の仕事をどのくらいされているんですか?

西尾:起業したのは2004年だけど、日本語教師の仕事は今年で12年目かな。大学を卒業してすぐ日本語教師になったから、日本での就職経験はないんですよ。私、もともとは国語の先生になりたかったんです。高校生の時からずっと教育学部に入ろうと思っていたんだけど、高校3年生の時に、他の学部の方が色んな出会いがあって広がりがあるかなと思って文学部に。でも、海外で働きたいという思いもあって。実際に海外に住んでみると現地採用の仕事は色々あるというのが分かるんだけど、当時は情報がなくて、自分にできる仕事といったら日本語教師しか思い浮かばなかった。だから大学卒業後は日本語教師になろうと思って、アルバイトをしてお金を貯めて、日本語教師養成学校に入りました。

濱田:実際に働く場所としてマレーシアを選んだのには特別な理由があったんですか?

西尾:検定試験に合格した後、実際に働こうと思って求人広告を見ていたんですよ。そしたら韓国とか中国とか香港の求人が多い中で、1つだけカタカナでマレーシアの求人があったのね。韓国とか中国は大体想像つくけど、日本人にはマレーシアってあんまり想像つかないじゃない。10年前の私はマレーシアがどこにあるのかも知らなかったし、ジャングルみたいなところなのかなぁって。たぶん見たことないものを見てみたいとか、そういう気持ちが強いんだと思うんだけど、それだけの理由でマレーシアを選んだんだよね(笑)。だからその求人にあったのがマレーシアじゃなかったら、今ごろは他の国でやってたかもしれない。

「目の前のことを一つひとつやることで、ここまで来た」

濱田:マレーシアで日本語教師をされていた先生が、起業をしたきっかけは何だったんですか?

西尾:マレーシアで3年半日本語教師をやって、ぼちぼち契約も切れるし、他の国に行こうか日本に帰ろうか色々考えていたのね。そしたらちょうどその頃に、知り合いから「折角だからこれまでの経験を活かして、日本語学校を立ち上げませんか」というお話を頂いて。それで始めたんです。

濱田:それまでに経営の経験があったわけではないんですよね?

西尾:そうなんですよ。社会経験がないのに起業なんてしてしまったから、何も知らないのに営業に行ってみたり、色々やってましたね。どちらかというと後先考えない方なので(笑)。

濱田:起業はお一人でされたんですか?

西尾:日本語学校の教師はお給料安いし、起業できるほど貯金なんてないから、出資は別の方なんですよ。その方はマレーシアに長く駐在していて、経済的に余裕がある方で何かやらせたい、ていうか「やれ」っていう人で(笑) 。私は実はすごくやりたかったわけじゃないんだけど、上手く断れずにいるうちに、逃げられないように外堀から固められていって今更引けないってところまできちゃって(笑)。でも「やる」と言ったからには責任だけはちゃんと果たそうと思って、目の前にあることを一つ一つやっていくことで、なんとなくここまで来たって感じですね。

濱田:立ち上げ時期のお話も是非お聞きしたいです。

西尾:立ち上げ時期は私一人だったから、まずは事務所を置いて、自分でチラシを作ってそれを配ったり、電話を敷いたり、色々やっていましたね。それまで日本語学校で教えていた生徒を教えながら、少しずつ新しい生徒を増やしていくうちに、有難いことにちょっとずつちょっとずつ生徒の数が増えていって。そしたら段々一人じゃ出来なくなって受付の子を雇ったんだけど、そうするとその子のお給料を稼がなきゃいけないからクラスを増やして、でもクラスを増やすともっと先生を増やさなきゃいけなくなって・・・ってどんどん背負っていくものが大きくなったんだよね。でも「やらなきゃ!」という責任感があったから、なんとかやっていくことが出来ました。

「みんなの幸せのためには、自分がベストを尽くさなきゃいけない」

濱田:先生はなんだか淡々と話されていますが、私だったら逃げ出したくなりそうです(笑)。先生はなぜ「やらなきゃ」と思われるんですか?

西尾:うーん、人を裏切りたくないという気持ちが強いかな。まず起業を勧めてくれた人の気持ちを裏切りたくないし、うちで勉強したいって思ってくれる生徒の気持ちも大切にしたいし、うちで働いてくれる子も大事にしなきゃいけないし。「みんなを幸せするには、自分がとりあえずベストを尽くさなきゃいけない」という気持ちがあるんだよね。

濱田:先生は経営をしてみたいという気持ちはもともとあったんですか?

西尾:いや全然なかった(笑)。今でも雇われの日本語教師として、教えることに集中していられたらどれだけ幸せだろうと思うこともあって、昔は嫌々やっていた時もありますよ。だけどやっていくうちに少しずつ、この仕事も色々経験ができて面白いし、自分のやれることも広がっていると感じて、今はやらせてもらって良かったなと思ってます。こんなにガツガツやろうとは思っていなかったし、お金持ちになることにもほとんど興味がないんですけどね。

濱田:先生がこの仕事を続けていらっしゃるモチベーションは、ビジネスを成功させたい、お金を稼ぎたいという気持ちではないんですね。

西尾:そうだね。何かをやってやろうというアグレッシブな気持ちで始めたことではないかな。なんというか、気づいたらちょうど目の前に1歩だけ昇れる階段ができあがっている人生というのかな。もしその階段が昇れなさそうな階段だったら最初から登らないけど、ちょうど足を伸ばせば登れそうなところにあるんだよね。1つ階段を乗り越えると新しいチャンスが来て、それを繰り返すうちに生徒の数が増えて、私1人だったスタッフが20人に増えて・・・それでここまで来ましたね。

「どこに行っても“こういうものか”と受け入れる」

濱田:日本では今、海外進出とかグローバル化が叫ばれていますが、先生のお話を聞いていると、日本にとらわれる必要はないなぁとつくづく思います。日本で働くのが合わないなら、自分の適性を把握して、海外に出て行くのも選択肢の1つですよね。

西尾:すごくそう思う。海外に行きたいと思っているのに行かないのはもったいない。ただ日本人って「もっと上へ」って考えがちだから、本当は海外に興味のない人たちまで全員が「そうしなきゃいけない」ってなっちゃうんだよね。でも興味がない人や外に出て行くことが好きじゃない人まで「世界を見なきゃいけない」ってなると、逆にそれがストレスになるし、1回だけの人生を辛く過ごすことになるじゃない。だから自分の適性を知るのは大事だよね。

濱田:ところで先生は実際に海外で働いていて、大変なことってありますか?

西尾:やっぱり考え方の違いかな。日本では当たり前だと思っていたことが、海外ではちっとも当たり前じゃないから、「こうして欲しい」と思っても、思うように返ってこないんだよね。だから違うことに面白さを感じてやっていけるタイプの人と、自分の求めるものが手に入らないことが嫌で「この国嫌い!」ってなるタイプの人と、二手に分かれると思う。こうして欲しいのに!っていう気持ちが強い人にはちょっと辛いかな。

濱田:ちなみに先生はマレーシアに来てカルチャーショックはありましたか?

西尾:それはあんまりないかなぁ。だからこそ、スッと入れたのかも。どこに行っても「こういうものか」って受け入れちゃう。何でだろうね、執着がないからかな(笑)。

濱田:先生、仏のようですね(笑)。逆に先生が執着していたり、これだけは譲れない軸やこだわりはありますか?

西尾:うーん、これといって軸はないかなぁ。「こだわりがないことが、私のこだわり」みたいな感じ(笑) 。でも、やっぱりAtoZは大事にしたい。うちで勉強している生徒や働いている人たちの幸せとか笑顔が大事だから、それを守るためなら私はすごく戦うと思う。


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