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木村文さん

濱田 真里
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「小さい頃の夢が20年後に叶うこともある」

濱田:カンボジアいらっしゃる前は、日本で新聞記者をされていたとか?

木村:日本ではずっと朝日新聞の記者でした。新聞社といっても色々な仕事があるので、ずっと記者でいるというのはあまりないことなんですが、私の場合タイやフィリピンで特派員をしながら、17年間ずっとその仕事をしていました。

濱田:私の友人にも新聞記者になりたい学生が結構いるのですが、木村さんも目指していらっしゃったんですか?

木村:小さい頃からずっとなりたかったんです。だけど学生時代の私は、外国に行ったこともなければ英語もしゃべれない、本当に平凡な学生で。そんな私が「新聞記者」という特殊な世界に入っていけるんだろうか、とすごく不安だったんです。だから何か自分にプラスの付加価値を付けようと思って、大学卒業後にジャーナリズムを勉強するためにアメリカに留学しました。そうやって「他の人とは違うことをしている」と、自分に自信を持てたことが、新聞記者の仕事に繋がったのだろうと思います。

濱田:夢を叶えるために努力し続けていらっしゃったんですね。

木村:確かに学生時代はそうだったのかもしれません。でもだからと言って、小さい頃から全てそれを意識してやってきたわけではないんですよ。英語の勉強でも何でも、目の前にあることに精一杯取り組んでいたら、いつの間にか夢に繋がったというか。

濱田:まさに点と点が繋がって、線になったという感じですね。

木村:本当にそうだと思います。これは夢だった記者になって実感したことなんですが、子どもの頃の夢って大切に持ち続けていれば、いつか繋がることもあるんですよね。私も記者になりたいと思ってから実際になるまで、20年掛かっているんです。だから皆さんが持っている夢が、20年先に実現することも十分あり得る。今、目の前にある仕事がやりたかったこととは全く関係ないように見えても、自分の夢につなげる方法は絶対にあると思いますよ。

「全てのことは、ここに来るためにあった」

濱田:夢だった記者の仕事を辞めようと思ったのはどうしてですか?

木村:40代にもなると、どんな仕事もがむしゃらに頑張っていた20、30代の時とは違って、自分の出来る仕事と出来ない仕事がはっきりしてくるんです。特に新聞記者の場合、現場にいられる時間というのは短い。その中で自分に残された時間をどう使おうかと考えた時に、もう、出来ないことや苦手なこともがむしゃらにやっていくだけの時間はない、と思いました。それよりも好きなことや自分に出来ることを突き詰める時間にしたかった。それが辞めようと思った理由です。

濱田:記者のお仕事をとことん追及されたからこその決断だったんですね。

木村:そうかもしれません。苦手なことも嫌いなことも、とりあえず一通り試して頑張りましたからね。その結果、失敗も沢山したけれど、いい意味で「ここまでやったらOK。もう好きなことやっていいよ」と自分に言えるようになったんです。

濱田:働いた時間が長くなるほど辞めるのが怖くなると思うのですが、木村さんの場合そうではなかったんですね。

木村:逆に若い時には辞められなかったかもしれません。ある程度仕事が出来て周りにも頼られるようになる30代の頃って、一人で背負い込んでしまうというか。不安になっても人を頼れなかったり、助けを求められないんですよね。ところが40近くにもなると、そういう突っ張っている部分が取れて、弱い自分を許せるようになる。そうやって「自分一人ではなく、みんなに支えられているんだ」ということを認められた時、私ははじめて会社を辞めても大丈夫だと思いました。私はどこでもやっていける、どこでも人に頼れば良いんだ、って。

濱田:年を重ねることで見えてくるものも沢山あるんですね。でも、お仕事を辞めると決めた時、会社の方たちは驚かれませんでしたか?

木村:「なんで?!」って感じでしたよ(笑)。でも、私も育ててくれた会社には本当に感謝していたので、3年間かけて上司や同僚に少しずつ話していって、理解をしてもらいました。

濱田:3年間も!その間にご自身の気持ちが揺らいだりしませんでしたか?

木村:迷いはなかったですね。逆に3年間一切揺らがなかったからこそ、「これで良いのだ」という確信を持って辞められたのかもしれません。勿論記者になるのは夢だったけど、全てのことはここに来るためにあったというか。そうなる運命だったんだな、という感じ。

「”自分は欠けている”という思いが自分を走らせる」

濱田:先ほど、「自分のやりたいことを突き詰めたい」と仰っていましたが、木村さんのやりたいこととは何ですか?

木村:それは、私たち日本人と同じ時間、同じ世界に同時進行で生きている人々の日常を、自分の目で見て書くことです。

濱田:そう思うようになったきっかけは何だったんですか?

木村:それは記者をしていた時の想いですかね。新聞記者の仕事って、戦争や大災害という何かいつもとは違う、非日常を描くことじゃないですか。でも、本当の非日常を伝えるには、普段の日常も伝える必要があると思うんです。私たちと同じような喜びや涙、笑顔があると知ってこそ、その苦しみが分かるというか。でも、新聞社で記者として働いている限り、新聞が求めている非日常を書き続けるしかないですよね。そう思った時に、私は普通の人々の普通の日常を伝える記者になりたいと思ったんです。

濱田:木村さんをそこまで「日常を書く」ということに駆り立てるものは何ですか?

木村:それは私自身の「日常」に対する強い憧れがあるからだと思います。仕事にエネルギーの全てを傾けている私みたいな生き方を、「素敵」とか「うらやましい」と言ってくれる人もいるけれど、私が一番尊敬するのはちゃんと自分の家庭を持って、子どもを育てている人。その「日常」を自分はまだ手にしていないと思った時に、自分のこだわりは、憧れから来るものなんだ、と思ったんです。

私は人生を満喫しているけれど、自分にはまだ欠けている部分があって、満たされたとは思っていないんです。それが不幸だとは思わないけど、「自分は欠けている」という思いが私を走らせているのだと思うし、立ち止まらないのも欠けたものを探しているからだと思います。

濱田:木村さんのような方でも、まだ満たされているわけではないんですね。

木村:こんなに頑張っているのに、何でまだ満足できないの?って思うこともあるけど、そう思っちゃいけないんだよね。昔は一生懸命生きていれば満足して死ねるだろうと思っていたけれど、どこまで行ってもいつまで経っても不安や悩みは尽きないもの。人生なんて辻褄が合うものじゃないからさ(笑)。でも、「人間はそういう生き物なんだ」って覚悟してしまえば、人って強くなると思いますよ。

木村文さんメッセージ


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