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眞野ちひろさん

濱田 真里
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大学2年生の英語の授業で鑑賞した映画「さらば、わが愛/覇王別姫」でアジアに興味を持ち、大学を卒業してPR会社で働いた後、カンボジアへ渡りプノンペン大学外国語研究所に入学する。NPO法人ASACカンボジアに学校を贈る会プノンペン事務所調整員をした後に、現在はJICAカンボジア事務所にて契約職員として働いている。カンボジア人と結婚し、近く第2子を出産予定。

「日本で働いた3年間は貴重な経験」

                   
濱田:ちひろさんがカンボジアで働くようになったきっかけは何ですか?

眞野:大学3年生の時に、孤児院のボランティアで来たのがきっかけです。食べ物は美味しいし、人は優しいし、「こんなに居心地の良い国はない!」と思ったほどでした。ちょうど就職活動が始まる頃で、せかせかしていたのもあったと思うけど、ここはのんびりでいいなぁと思ったんですよね。私が就活をした当時はまだバブル崩壊の影響が続いていて、就職氷河期と言われていた時期でした。その時から海外志向だったので商社を中心に5、60社は受けたと思います。結局、畑違いの超ドメスティックなPR会社に内定をもらって、3年程働きました。

濱田:3年というのは働く前から区切っていたんですか?

眞野:そうですね、3年くらいだろうなとは思っていました。いずれはカンボジアに行きたいという思いはあったけど、漠然と日本で働く経験も必要だろうと思っていたんです。でも、日本の会社で働いた3年間は本当に貴重な経験になりました。ビジネスマナーとか基本的なことは全部教えてもらったし、カンボジアで仕事を探す際にも、日本での就業経験が採用の条件だったりしますからね。今こうして働いているのもあの時の経験があったからだと思っています。

濱田:カンボジアでのお仕事は実際にカンボジアに行く前から決まっていたんですか?

眞野:いや、実はカンボジアに来てからすぐには働かなかったんですよ。クメール語の語学学校には通っていましたけど、仕事はどうしたらいいか分からなかったですし、日本ですごく頑張って貯金をしたので、しばらくは働かなくても生活していける余裕もありました。カンボジアで仕事がしたいというよりは、カンボジアに住みたいという気持ちが強かったので、とりあえずカンボジアに来てみたという感じですね。

「開発や教育の分野で働くなんて思ってもみなかった」

  
                     
眞野:語学学校を卒業する頃、『カンボジアに学校を贈る会』というNGOに「働きませんか?」と誘われたのが開発の仕事をするようになったきっかけです。働いていたのはPR会社だったので自分がNGOや開発の分野で働くなんて思ってもみなかったですけど。でも折角働かせてもらえるんだし、タイミングも良かったのでやってみようかなぁ、と。運が良かったんですよね。その仕事は、日本で資金を集めてカンボジアの地方に学校を建てる、というものでした。週に1度のペースで出張をしながら学校建設の候補地を探したり、施工管理のようなことをしたり、地元の人との交渉をしたり。自分が働くことでみんなに喜んでもらえたし、仕事はすごく楽しかったですね。でも、子育てをしながら働くというのは想像以上に大変でした。出張と子育ての両立が難しかったので、1年くらい前に転職をして今はJICAで働いています。
                            
濱田:ちひろさんの旦那さんはカンボジア人の方なんですよね?どんなお仕事をされているんですか?

眞野:夫は大学の先生をしながら、物理とか数学の本を書いています。カンボジアの教育水準はポル・ポト政権時代の影響ですごく低いんですよ。自分の国の言葉で書かれた参考書がほとんどない状態。だから彼は英語や日本語の参考書を要約して、クメール語で出版したりしています。

濱田:旦那さんもカンボジアのためになることをされていらっしゃるんですね。でも外国の方と結婚するのはやっぱり勇気がいることだったのではないでしょうか?

眞野:夫は日本に9年間留学していたので日本語が分かるんですよ。言葉が通じるというのは大きいですね。逆に日本語が通じなかったら結婚していないと思います。正直、結婚は自分の計画になかったんですよ。そもそも子どももあんまり好きじゃなかったから(笑)。でも結婚も子育てもやってみたらなかなか面白くて、人生観が変わりましたね。それまでは自分中心で働いていて、何か結果を残したい、一旗挙げたいという思いが強かったけど、そういう感じではなくなりました。子どもを育てることも、カンボジアのために働いている夫とこうして暮らしていくことも、私にとってはカンボジアに貢献する一つの形なのかなと思っています。

「終電を逃してまで働く必要があるのか?」


濱田:ちひろさんは子育てしながらお仕事をされていますが、家庭に入ることは考えなかったんですか?

眞野:私、働かないで3日くらい家にいると飽きちゃうんですよ(笑)。休みの日も家でじっとしているのは1、2日で、あとは外に出たくなっちゃう。だから専業主婦でずっと家の中、というのは私には無理ですね。ただ、カンボジアでも家庭と仕事を両立するのは結構大変で、今は夫の家族と暮らしていて女手が足りているので働けていますけど、一緒に暮らす前は大変でした。

濱田:ちなみにちひろさんはカンボジアで仕事と家庭の両立に苦労された時に、日本に帰りたいと思ったことはないんですか?

眞野:帰りたいと思ったことはあんまりないですね。貯金はもうないし、親の老後のことを考えたりすると、不安になることはもちろんありますけど、とりあえず今は満足しています。それに日本で働くのは私には無理ですね。3年働いてもう十分という感じ(笑)。みんな何をそんなに急いでいるのか分からないけど、いつもせかせかしていて何かとストレスの多い生活ですよね。カンボジアではみんな5時ぴったりに帰ります(笑)。カンボジアに住みはじめてそういう働き方に慣れてしまったから、日本に戻るのはありえないかな。その点は夫とも一致しています。カンボジア人が日本人と結婚すると、日本に行きたいという人が多いけど、私の夫は日本人の生活を知っているから、逆に「カンボジアに住む」というのが私との結婚の条件だったんです(笑)。

濱田:日本人の忙しい働き方が合う人はそれでもいいと思うんですけど、日本人全員がそういう働き方に向いてるわけじゃないですよね。

眞野:そうそう。もちろんその働き方が合う人はそれで良いかもしれないけど、大半の人がそうではないんじゃないかな。のんびりしたカンボジアから見ていると、すごく勤勉だったり、何でも一生懸命頑張ったり、そういった日本の国民性はすごいなと思います。でも今の日本人はちょっと急ぎすぎ、働きすぎているように感じますね。みんなが頑張って働いてきたから日本は発展したんだろうけど、終電を逃すような生活をしてまで働く必要はないんじゃないかな。


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