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林 英恵さん

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ひとりの女性との出会いで、ハーバード大学院を目指し始めた

濱田:現在、外資系広告会社であるマッキャンヘルスコミュニケーションズの正社員でありながら、ハーバード大学院にも通われているとのことですが、両立することはかなり大変なイメージがあります。

林:アメリカの大学は膨大な学費がかかるため、働きながら学ぶことも一般的です。ただ、私の場合は年の半分は日本オフィスに勤務し、残りの半分はハーバード大学院に通うという前代未聞のケース。実は、ハーバード大学院から合格通知が届いた時は、広告会社での勤務を開始した直後でした。悩みに悩んだ結果、日本支社長のところまで出向き、素直に「会社と大学院のどちらを選べば良いのかわからない」と伝えました。すると、英国人の支社長は「おめでとう!両方やればいいじゃないか」と答えて下さったんです。あの時送り出してくれた支社長や会社の仲間たち、支えてくれる大学の教授には本当に感謝しています。

濱田:そもそも、なぜハーバード大学院に入りたいと思われるようになったのでしょうか?

林:大学3年生の時にフルブライト奨学金の説明会に参加し、そこで今は亡き、ハーバード大学院卒業生である女性起業家の野村るり子さんに出会ったことがきっかけです。彼女は本当に生き生きとしていて、当時何をやれば良いのかわからなかった私にとって、憧れの存在となりました。それから彼女に連絡を取るようになり、留学をしたいと話すと、「ハーバードに行ったら良いじゃない」と言ってくれたんです。当時は、ハーバードに行けるような英語力も実績もありません。そのような中で、「ハーバード」という言葉を直接言ってくれる人に出会えたことが、私の人生に本当に大きな影響を与えました。促されるままに渡米してハーバード大学院の見学をして、「こんな場所で学んでみたい! 絶対にここに入ろう」と、心に固く決意。とにかくハーバード大学院にしか行きたくなかったので、合格するまで3回受験しました。1、2回目までは他校も受けたのですが、最後の受験のつもりだった3回目はハーバード大学院だけを受験。ここまで頑張れたのは、野村さんとの出会いがあったからこそだと思います。

大きな流れのなかで生きていることを受け入れる

濱田:大学卒業後はどうされていたのですか?

林:実は、私は就職活動がうまくいかず、2年間アルバイトをしながら過ごしていました。それまでは大学受験など、自分の人生は頑張ればなんとかなると思っていたんです。しかし、22から24歳の時はすべてがうまくいかなかった。テレビ局や新聞社などへの就職活動も失敗し、とにかく「自分探し」の毎日でした。様々なことにも挑戦しましたが、すべてが「あとちょっと」というところで望んでいた結果が出ず、何かお預けされているような日々でした。とにかくエネルギーを持て余しているような自分が嫌でしたし、せっかく大学を出させてくれた両親に申し訳ないと思っていました。新卒でもなく、かといってどんな仕事でもいいわけでもない。1ヶ月ごとにやりたいことが転々と変わり、自分が何をしたいのかわからない暗中模索の時期が続きました。たくさんいた友人たちとも、親友のひとりを除いて誰にも会わなくなるほど家に籠るように。

そんな苦しい時期に、周りに勧められて出願したボストン大学院から合格通知を受け取りました。資金繰りが難しかったので行く気は全くなかったものの、「行きたいが資金面で難しい」と大学側へ伝えると、大学が奨学金を出してくれたのです。正直、何をやりたいという明確な目標はなかったので、留学は乗り気ではありませんでした。しかし、家族や友人、野村さんなど、周りの人たちから「環境を変えるためにも、とにかく海外に行ってみなさい」と猛烈に背中を押され、ボストン大学院へ留学。ここで渡米したことが、私の人生を大きく変えました。

濱田:ボストン大学院への留学によって、林さんのなかにどのような変化があったのでしょうか?

林:自分の人生と置かれた環境を受け入れるようになりました。日本で就職活動がうまくいかず、途方に暮れていた時に野村さんがかけてくれた言葉が、「選ばれなかった人は他の道に選ばれている」という言葉。人生には自分の頑張りだけではどうにもならない大きな力があり、その流れの中で人は生かされているということを学びました。自分の力でコントロールできないことの存在を受け入れるからこそ、自分がコントロールできることには全力を尽くす。だから、毎日を本気で生きることが大切なのだと思います。そして、未来は「今」の連続。「今」に集中していると、思いがけない道が開けてくるはず。そうやって、自分が想像もしていなかったような扉を一つひとつ開けて、私は今の場所にいます。人生は、自分で思うよりも可能性に満ちていると思うんです。

人生は予期せぬ喜びにあふれている

濱田:ボストン大学院の後、ハーバード公衆衛生大学院への進学を選ばれたのはなぜでしょうか?

林:当初は、ボストンから帰ってまた日本でジャーナリストになるために就職活動をする予定でした。ところが、UNICEFインドオフィスでのインターンをした時の原体験があまりにも衝撃的で、公衆衛生(Public Health)についてもっと学びたいと思うように。UNICEF活動の一環でインドの田舎のとある高校を訪問した時に、エイズ予防キャンペーンの絵画コンクールを開催していました。女子高校生が嬉しそうに、私に「学校で習ったことだ」といって自分たちが描いたポスターを見せてくれました。そこに描かれていた内容は、「結婚まで性交渉をしなければエイズから逃れられる」というもの。しかし、当時のインドでは、 結婚した夫が婚外性交渉を持ち、その夫からHIVに感染するケースが女性のHIV感染の一番の原因でした。つまり、結婚は女性にとってHIV感染の一番のリスクだったのです。女子高生たちが信じていることは、事実ではない。この現実のギャップを知った時に、きちんとした疫学や統計の知識なしに、教育や普及活動を行う危険性を痛感しました。そして、多くの人々の健康状態を向上させることを目的とする学問分野である公衆衛生の必要性を痛感したのです。

その頃に、偶然インドでハーバード公衆衛生大学院がヘルスコミュニケーションという、公衆衛生分野の普及啓発を専門に行う専攻を立ち上げたことを知り、運命だと思いました。「公衆衛生を通じてエイズや貧困問題を解決したい」というエッセイを書いてインドから出願書類を提出。ハーバードを受験するのはこれで3度目です。そしてついに、夢にまで見たハーバード大学院からの合格をもらうことができました。インドでの経験から7年が経ちますが、今でも、あの時の出来事はことある毎に思い出します。インドの女性をエイズから守るために、何のメッセージが必要だったのかは、自分の中でまだ答えが出ていません。でも、必ずいつか十分な経験を積んだ後に、インドに戻って仕事をする日が来ると信じています。

濱田:まさに、今ご自身がミッションとされている分野への足がかりとなった経験だったのですね。

林:そうですね。やりたいことは、ある日突然天から降ってくるものではなく、試行錯誤しながら見つけていくものだと思います。やる前からやりたいことがわかるはずがないので、まずはやってみるしかない。それに、やりたいことはやりながら変わっていくもの。公衆衛生の研究を続けていけばいくほど、「人」の生き方や行動により興味を持つようになりました。そして、人の行動は、その人が属する環境によって大きく変わると考えるようになりました。私は、行動科学と社会疫学を専門にしていますが、「人は変われるのか」「人の行動を変えることはできるのか」という問いは、私が生涯かけて追究していくものだと思っています。ハーバードでは、人の行動を変えるためのひとつのツールである“Health Communication(ヘルスコミュニケーション)”という分野、また、自然食や瞑想、ヨガや医食同源などの、東洋の伝統に基づいたホリスティックな健康へのアプローチも研究分野として広げていきたいと思っています。

濱田:最後に、林さんの好きな言葉を教えて下さい。

林:好きな言葉は “Life is crowded with unexpected joy.”(人生は予期せぬ喜びにあふれている)です。「ご縁」という日本語があるように、偶然のように思える出来事も、実は必然なのだと思います。そういう出来事に出会えると本当に嬉しい。就職活動中は何をしても未来への不安ばかりで弱気だった私が、今ではさまざまな出来事と人とのご縁によって、就職活動当時は知らなかった公衆衛生という学問に出会い、やりたいと思える仕事に出会うことができました。今だからこそ言えますが、たとえ就職活動などで失敗したとしても、それで人生が終わりだなんて思わないで欲しい。もしかしたら、あなたがしたいことに社会が追いついていないだけかもしれないし、自分のやりたいことが職業としてまだ世の中に存在していないだけかもしれない。他の人には一貫性がないように見える履歴書でも、最終的にはすべてのものが繋がるように人生はできているはず。だから、将来に悩んでいる昔の私のような人たちには、未来にとらわれることなく、目の前にあるどんな小さなことに対しても本気で取り組み、自分らしい道を切り開いていって欲しいと思います。


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