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財津奏さん

2月 13th, 2012|件のコメント


1984年大阪府生まれ。
大学2回生で大学の国際交流プログラムに参加し、アメリカにて1ヶ月ホームステイ。母国語でない言語でコミュニケーションを取る難しさと面白さを実感すると同時に、「人に伝える」ことをしたいと思うようになる。大学4回生の時にボランティアで2週間、インドネシアのバリ島にホームステイをし、アジアに興味を持ち始める。大学卒業後、府内の地元密着のフリーペーパーを発行する会社に就職し、営業職として日本で1年半勤務する。学生時から海外で働きたい気持ちがあり、社会人1年目でマレーシアに旅行で訪れ、好きになって就職活動し、2008年10月マレーシアにて転職。現地の邦字出版社にて、広告営業職に就く。

「人よりも変わっているという思いがあって、ずっと自分に自信がなかった」

濱田:財津さんがマレーシアに来ようと思われたきっかけは何だったんですか?

財津:旅行で来たのがきっかけです。社会人1年目の夏休みで1週間弱マレーシアに来たんですね。来る前はジャングルみたいなところを想像していたから、実際に来てびっくり。意外と進んでいるんだなと(笑)。綺麗で治安は悪くないし、英語も使える。その上、シングルの20代日本人女性も沢山働いていると聞いて、自分も行けるかもしれないと思うようになりました。

濱田:元々海外には興味があったんですか?

財津:実は就職活動中も海外で働くことを考えていたんです。でも、仕事の基礎知識も何も分からずにいきなり海外に行ってゼロからスタートというのは、自分にとってすごくプレッシャーでした。だから、まずは日本で働いて基本的なことを身につけてから海外に行こうと思い、就職して1年半働きました。フリーペーパーの営業をしていたんですが、こちらに来ても同じ仕事をするくらい、好きな仕事なんです。

濱田:今のお仕事のどこに魅力を感じられるんですか?

財津:人に何かを伝えることが楽しいんですよね。今の会社の出すフリーペーパーのコンセプトは、現地の物を日本人スタッフが実際に試して伝えるということ。ここに住みながらそういう情報を発信することで、自分は役に立っているという実感が持てるんです。それから営業が好きなのは、会社の中で唯一お金を取って来られる部署だから。家族で考えたら、営業部はお父さん。一家の大黒柱として、会社を支えていきたいし、自分がどこまで行けるか試したいんです、私。

濱田:上昇志向が強いですね!

財津:今はそうかもしれないけど、実は子どものころはすごく根暗で、友達作るのも苦手でした(笑)。

濱田:全くそんな風には見えません(笑)。財津さんが変わったきっかけは何だったんですか?

財津:それは高校で出会った友達に、ありのままの自分を認めてもらえた事。私、中学の頃からずっと英語が好きだったんです。でも、中学生って英語が苦手な子が多いじゃないですか。だから英語が好きと言うだけで、真面目とか固いというイメージを持たれてしまって、なかなか理解してもらえなかった。それが高校で出来た友達は、そんな私を認めてくれて。それまでは人よりも変わっているという思いがあって自分に自信がなかったけれど、このままでいい、皆と違ってもいいや、と思えるようになったんです。

「正直なところ、日本から逃げてきた感はあります」

濱田:日本でのお仕事を辞めたきっかけは何だったんですか?

財津:格好良く言うと、やっぱり私は日本に落ち着いているのが嫌だったんです。でも格好悪く言うと、正直、日本で働くのはしんどいという面もあった。フリーペーパーの出版の仕事は締め切りがある仕事だから、決められた時間までには絶対に間に合わせなければいけないんですね。そのために終電まで仕事をするけど、それでもなかなか上手くいかなかったり。それに、売り上げの目標もあって、それがすごくプレッシャーでした。そうやって仕事をしているうちに、このままでいいのかな?という疑問が湧いて来て、どうせ同じ事をやるんだったら、海外に出るのもありなのかなと思い始めたんですね。少なくとも海外だったら好きな英語が使えるし、日本人以外の人にもっと会える。わざわざ日本に固執しなくてもいいんじゃないかなと思ったんです。

濱田:日本で働いているとそういう気持ちになってしまうこともあるかもしれませんね。

財津:だから正直なところ、日本から逃げてきた感はありますよ。まぁこっちでも同じ職種で働いているから、基本的にやっていることは変わらないんですけどね。マレーシアでも、出版物には締め切りはあるし(笑)。でもこっちに来て良かったです。変なプレッシャーもないし、より自分が明るく楽しく働ける場所にいると思います。前の会社では新卒で仕事を学ばせて頂いてすごくお世話になったので、しっかり貢献出来ずに去ってしまったというのは申し訳ないと思うんですけれども、その分今の場所で頑張ることで、逆に海外から日本に貢献したいです。

濱田:ちなみにご両親の反対などはなかったのですか?

財津:親には大反対されました。父も母も海外に出たことがなくて、日本はもちろん大阪すら出たくないと思っている人たちだったので(笑)。海外に嫁入り前の娘を出すなんてもっての外だと思っている親を説得するのは大変だったけど、父はまだ理解があって「奏のしたいようにしてみぃ」って言ってくれました。母にはマレーシアで内定を取った後に、事後報告。もう逃げられないようにして泣き泣き訴えて、ガチンコで話し合いましたね。母も日本での仕事で私がボロボロになっていたのを見ていたし、私も海外で働いた方が絶対にもっとイキイキ出来る自信があったので、最後は私の気持ちを理解してくれました。

「仕事をするために生きるのではなく、生きるために仕事をする」

濱田:旅行で来るのと実際に住むのでは随分違うと思うのですが、マレーシアで働く事に不安はなかったんですか?

財津:確かに暮らしの水準も食べ物も変わるし、いきなりアフリカの奥地に住めと言われたら困りますが、そこに人が住んでいる限り、住めそうかなと思いますね。あまり困る事はないですよ。

濱田:日本とは一緒に働く人も環境も違うと思うのですが、こっちで働いていて我慢できないことはありますか?

財津:それもないですね。自分の基準も段々ゆるくなってきています(笑)。最初は時間にルーズなところや、言い訳ばかりするところにいらいらしていたんです。日本人からすれば絶対に許されないことが、こっちでは結構普通で。でも、そういう生き方もありかなと思えるようになりました。逆に日本はこうしないと生きていけない!というくらいの変なプレッシャーがたくさんありますよね。最近も過労死の話をニュースで読んで、こういう問題もまだあるんだなと驚きました。働くのは、自分が生きるためにするものなのに、日本人は仕事のために自分を犠牲にしているように感じます。それでは本末転倒ですよね。こっちで働き始めて感じるようになったことだけど、海外の人は自分が生きるために働いているんですよ。まずは自分があって、その自分を豊かにするために仕事をする。より人間的で、健康な気がします。

濱田:日本の働き方だけが正解ではないと思うので、自分に合った働き方が出来るといいですよね。では最後に、学生にメッセージをお願いします。

財津:興味を持って取り組み続けていると、自然とやりたいことに繋がると思います。やっぱり継続は力なり。ちょっとずつでもいいからコツコツと続けることが大事ですよね。私は英語だけは中学の時からずっとやってきました。そうすることで思わぬものを引き寄せたりすることがあます。ロック音楽でも、食べ物でも何でもいいんです。誰にでも一つはそういうものがあると思うので、ぜひそれを拾い上げて欲しいです。