LOADING

Type to search

茶山恵子さん

アバター
Share

先が見えない世界の方が、面白いと思った

濱田: いつから海外に興味を持たれたのでしょうか?

茶山:帰国子女ではないのですが、小さい頃から海外の文化に触れるのが好きで、ずっと「早く海外に出たい」という気持ちを持っていました。それが実現したのが大学3年生の時。交換留学で1年間アメリカに渡航して、「海外の方が気楽で、思いっきり自由に動ける!」と感じましたね。逆に、日本にいる時の自分は周りの目を気にして行動していたと実感しました。アメリカにこのままずっと住みたいと思ったのですが、一方で語学に対する不安も拭いきれず。一通りの会話はできるのですが、友人と気楽に話すくらいの英語力を保持するには相当の努力が必要だと実感し、日本に帰国して就職活動をすることにしました。

濱田: それで、日本帰国後に就職活動をして三井造船に就職されたのですね

茶山:はい。でも本当は公務員になりたかったんです。公務員試験に落ちてしまって、面接の練習だと思ってたまたま受けた会社がここでした。非常に規模が大きな会社だったので、内部は年功序列。私は海外転勤をずっと希望していたのですが、8年間勤める中でそのチャンスは訪れませんでした。自分の今後のキャリアに悩み、一時期弁護士になりたいと思って慶応義塾大学のロースクールの合格通知書をもらったのですが、費用を考慮して結局行かず。そんな時に『金持ち父さん 貧乏父さん』という本に出会い、投資に興味を持ち、自分で勉強しながら不動産投資を始めるようになりました。

元々お金に対して少し汚いイメージを持っていたのですが、この本を読んでから意識が変わるように。そして、どんなに努力しても給料が大きく変わるわけではない環境でずっと働き続けることに限界を感じ、「早く海外に行きたい」という強い思いとともに、海外不動産の投資サポートをする会社に転職し、マレーシアに移住しました。現地採用だったのでリスクもあったのですが、海外に出ることによるメリットもある。とにかく、先が見えない世界が面白く感じたんです。

移住の決断をしたのは31歳の時。歳をとるにつれて海外に出にくくなるだろうし、「ここで動かなかったらきっと後悔する」という思いが強かったので飛び出せました。周りの人からも、「40、50歳を過ぎてから大きな失敗すると立ち直るのが大変だから、挑戦は早いうちにやった方が良い」と言われたことも大きかったですね。海外に出るなら今がラストチャンスだ! という背水の陣状態でした。

早く決断して早く経験して、早く失敗して人生経験を積み重ねたい

濱田: 具体的にはどのようなお仕事をされていたのでしょうか

茶山:マレーシアにあるコンドミニアムの販売をしていました。私が担当したのは130部屋。日本から100人単位でお客様が現地までやってきて、物件を見て購入されていくんです。海外不動産をされる方はある程度成功されている方が多いので、そういう方たちと話をするのは毎日刺激的で楽しかったですね。この会社では1年間勤務したのですが、怒濤の日々で非常に濃い1年でした。

濱田: この不動産会社を辞められた後はどうされたのでしょうか?

茶山:不動産会社で働いていた日本人のパートナーと一緒に、不動産会社を自ら立ち上げました。本当はもっと先のこととして独立を考えていたのですが、たまたまいい物件が出てきたことと、何事も早く決断をしていかなければという思いが後押しして、この選択に至りました。もちろん、悩んでいる期間も大事なのですが、早く決断して早く経験して、早く失敗して人生経験を積み重ねていくことも重要。成長速度を上げるには、とにかく待ちの姿勢ではなく何事も攻めの姿勢で取り組む必要があると思うのです。

私が会社を立ち上げたジョホールバルでは、現在国家プロジェクトが進んでいます。物価も不動産価値もどんどん上がっていて、今の時期を逃したらビジネスチャンスは消えるかもしれないという「決断」を常に迫られるような環境です。今後どうなるかはわかりませんが、今の環境にいると「悩む」よりも「選択」することが日常になりますね。

迷う時間があったら、早く行動して失敗を経験する方が良い

濱田: ものすごいスピード感でビジネスをされていることが伝わってきます。その中で苦労されていることはありますか?

茶山:ここはマレーシアなので、日本の感覚で物事を頼むと何も進んでいないことが多いです。特に、マレー系の人たちは時間の流れが非常にゆったりしているので、日本では普通にお願いすれば相手からの結果を待っていればいいところを、こちらでは、人によってはすぐに忘れてしまいます。頼んだ仕事は自分で覚えておかなければ流れてしまうので、確認することが仕事上で必要不可欠ですね。

濱田: マレーシア以外の国を選べば良かったと思うことはありますか?

茶山:ありません。私はマレーシアを選んでここに来たわけではなく、就職した会社がたまたまマレーシアにあっただけなのですが、結果的にマレーシアに来て良かったと思っています。気候が暖かくて、英語が通じる。しかも、中華系の人たちの英語は日本人がしゃべる英語と近いので理解しやすい。働きやすくて暮らしやすい環境だと思います。

濱田: 今後もマレーシアで活動されるのでしょうか

茶山:現在のジョホールバル拠点を持ちつつ、ミャンマーなどの他のアジア各国にも進出したいですね。でも、正直1年前の自分はまさかこんなことを仕事にしているとは予想もしていませんでした。おそらく5年後くらいには、今の時点では考えつかないようなことをやっているのだと思います。


Previous Article
Next Article