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土屋馨子さん

6月 7th, 2019|Comments are off for this post


やり残したことをやろうと思い、インテリアデザイナーを目指した

濱田:インテリアデザイナーとして活躍されていますが、いつからデザインに興味を持たれたのでしょうか。

土屋:子どもの頃から絵を描くのが好きで、高校生の時はファッションデザイナーになりたいと考えていました。服飾系専門学校や美大に進学したくて父に相談すると、銀行員で堅実な性格だったこともあって大反対されて。美大は諦めて早稲田大学に進学し、その後は大手日系企業に就職しましたが、体調を崩して退職。

しばらく休息を取った後、次に働くのであれば自分が好きだった方向に進もうと思い、30歳を過ぎてからインテリアデザインの専門学校に通い始めました。2年生時から東京の小さなデザイン事務所でアルバイトし、そのまま就職。その後、別のデザイン事務所に引き抜かれて数年働き、今のデザイン事務所に転職しました。

濱田:体調を崩されたことが、自分が本当に進みたい道に進むきっかけになったのですね。

土屋:そうですね。新卒で入った会社は安定していて福利厚生も整っていて、そこで適応して働ける人にとっては良い環境だったと思います。私は本社の管理部門にいたのですが、そもそも大学進学の時点で自分がやりたいこととずれてしまっていたので、仕事ともずれを感じてしまって。美術系の方向に行きたいという気持ちを無視できず、結局は病気になってしまいました。

インテリアデザイナーになれる保証はなかったのですが、やり残したことをやろうと思い、インテリア関連の資格をいくつか取得。その後、デザイン事務所に勤めながら独学で2級建築士の資格も取りました。文系学部出身だったので、建築士の勉強はとても難しかったですね。しかも仕事をしながらの勉強だったので、夜まで働き、早朝に勉強する生活をしていました。

人間、自分が本当にやりたいことのためなら頑張れるのだと思います。私は遠回りをしましたが、最初にやりたい方向に進まずにモヤモヤしたり、病気になったりしたからこそ、やりたいことを見つけられたのかもしれません。また、若い時に病気になったので、自分の体に気を付ける意識ができたのは良かったですね。体力は気力に繋がりますし、体力がないと仕事で戦えません。大変な時期でしたが、大きな学びの機会となりました。

生き残るために、死にもの狂いで仕事と勉強をした日々

濱田:これまでの海外経験について教えて下さい。

土屋:大学3年生の夏休みに、学生時代にしかできないことをやってみようと思って約1か月イギリスでホームステイをしました。イギリス人はインテリアにこだわっている人が多く、それを見るのが楽しかったですね。

その後、ベルリンの壁が壊れた直後の時期だったので、ベルリンの壁を見にドイツに行ってそのままひとりでドイツ縦断をしました。こういう経験をしていなかったら、日本を飛び出そうとは思わなかったかもしれません。アジアも好きで、新卒で勤めていた時は長期休暇のたびに、インドやタイ、バリ島やカンボジアを旅行していました。

濱田:マレーシアのデザイン事務所に就職されたきっかけは何だったのでしょうか。

土屋:前職のデザイン事務所時代のクライアントが、日本人インテリアデザイナーを探していた今の事務所のボスを紹介してくれたことがきっかけです。ホテルデザイン業界で有名な事務所だったので、東京の極小事務所で働く私が応募しても通らないだろうと、気軽に履歴書を送ったら書類審査に通って。

電話面接も受かり、マレーシアでの面接も通過。その時に「3ヶ月間試用期間で働いてみませんか」と誘われて、思い切って賭けてみることに。試用期間をパスしないと契約してもらえませんし、外国人だから2年更新契約で日本の正社員とは異なります。それでも、この事務所が扱っているホテルのプロジェクトは魅力的なものばかりだったので、失敗してもいいから挑戦したかった。

東京の事務所は好きでしたし仕事は楽しかったのですが、小規模物件しか扱っていなかったので、世界的に有名なボスの元で勉強し、ステップアップする機会を逃したくなかったんです。人生でこんなに良いチャンスが転がってくることはそんなにありません。

そのチャンスを見逃したり、チャンスが目の前に転がっているのにただ見ているだけで何もしない人もいるかもしれない、また拾おうとして落としたりする人もいるかもしれない。私はとりあえず拾おうとした。まだちゃんとつかめているかはわかりませんが、今日までは生き延びることができました。

当時38歳でマレーシアに友達はおらず、所属する事務所にも日本人はひとりもいませんでした。最初の3か月は毎日泣きそうでしたね。友人にも、「いい歳してチャレンジャーだね」と言われました(笑)。最初は英語を話せず、今まで建築やインテリアの勉強はすべて日本語でやっていたので、専門用語がわからなくて。とにかく生き残るために、死にもの狂いで仕事と勉強をして、毎日がサバイバル。でも、新しいチャレンジの連続だったので、大変でしたが充実していました。

濱田:日本の事務所で働かれていた時との違いについて教えて下さい。

土屋:日本の事務所はお客様もスタッフも日本人しかいなかったのですが、今は多様な国籍の人と世界中のプロジェクトを扱わせてもらっています。驚くほどお互いの考え方が違って、日本人にはない発想ばかり。

そういう考え方もあるのかと気づかされたり、逆に他の国の人から見ると私の考え方が新鮮だったり。価値観がどんどん広がっていきますね。時には意見を戦わせることもありますが、お互いプロジェクトを良くしようと思って意見を言い合うので、変にいがみ合ったりはしません。

また、試用期間中は事務所が借りているコンドミニアムに住んでいたのですが、リビングやキッチンは他のスタッフとシェアする形でした。まだ英語に慣れておらず、仕事から帰っても英語環境なのは辛くもありましたが、日本に居続けたらできなかった経験ですね。メキシコにもオフィスがあるのでそこから人が来たり、ギリシャのプロジェクトの人も泊まりに来たりして面白かったです。

プロジェクトの場所によっては他国に出張することもあります。今の担当物件は中国にあるので(インタヴュー当時。現在は2件の東京のプロジェクトを担当。)、中国系のマレーシア人の同僚と一緒に最近行ったばかり。英語が通じないので通訳してくれました。英語は今でも得意ではないのですが、間違ってもいいからとにかく言いたいことを言うようにしています。

間違えることはあまり問題ではなくて、自分がどう考えているかを伝えることが大事。そもそも、英語圏の人も他の言語圏の人もいるので、間違っても恥ずかしくありません。みんな頑張ってコミュニケーションを取ろうとしています。

物事は、やってみないとわからないことが本当に多い

濱田:土屋さんの今後について教えて下さい。

土屋:次のことはまだ考え中です。学べることがあるうちは、この事務所でやっていきたいですね。日本人デザイナーでここまでのプロジェクトを扱わせてもらえる環境はそうないので、貴重な体験をさせてもらっていると思います。マレーシアや中国などのアジア圏はデザイナーを求めていますが、日本はデザイン的にかなり成熟しているので、デザイナーの仕事が少なくなっているのかもしれません。

今の事務所にも中国やインドなど世界中から頻繁に仕事の依頼がきています。そう簡単にできることではありませんが、他の国に出てみるのはひとつの戦略だと思うので、チャンスがあれば挑戦してみるのもよいかもしれません。合わなくてもやり直しはできますし、一度働いてみると色々なことが見えてきます。

物事って、やってみないとわからないことが本当に多いと思いますよ。やる前はつまらなさそうと思っても、やってみたら面白さを発見するかもしれない。考えすぎずに、とりあえず取り組んでみるのがいいと思います。

濱田:今後日本に戻られる予定はありますか?

土屋:海外に出てみて思うのは、日本は女性にとって働きにくい国だなということ。日本は好きなので戻りたい気持ちもありますが、戻れない気もします。日本人女性の家事時間は世界の中で上位ですが、アジア圏は外食文化が当たり前ですし、ヨーロッパ圏も毎食温かいご飯を食べなくても問題ありません。日本人女性は、家庭内での負担が大きくて本当に大変そうだなと思います。

マレーシアの人口は、マレー系が60%、中国系が30%、インド系が10%弱くらいと言われています。様々な民族が混じり合っているからこそ、違う国の人を受け入れやすい土壌があるように感じます。他の国の人をじろじろ見たりしませんし、こっちにいる方がありのままの自分でいられる。挑戦できる環境がある限り、この場所で頑張ってみたいですね。