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吉川舞さん

8月 10th, 2017|Comments are off for this post


カンボジアにいることに、何も違和感がない

濱田:海外にはいつから興味を持たれていたのでしょうか?

吉川:旅行と遺跡好きの両親の元で育ち、その影響で中学生の時から世界遺産の地で働きたいという夢を抱いていました。大学の授業の合間に、ニューヨークやヨーロッパなどいわゆる「欧米」を旅したのですが、ヨーロッパではあまり年相応に見てもらえず、すごく刺激的で、感動するけれど何かが違うと感じていましたね。そんな時に訪れたのがカンボジア。現地の高校生と一緒に遺跡や歴史の勉強をするスタディーツアーに参加したのですが、ここで生きる人々のエネルギーはすごいと思った。カンボジアはこれから国として成長していく時期で、欧米に比べて整っていないことばかり。でも、汗や泥にまみれながら必死になって「何かを掴んでやる」と前進していく人々を見て、「この場所で私も一緒に成長していきたい」と強く思ったんです。発展しきった場所よりも、何が起こるかわからない場所の方が楽しいじゃないですか。

濱田:その思いを胸に、大学卒業後カンボジアへ飛び込まれていますが、不安はなかったのでしょうか?

吉川:不安もたくさんありました。実は、日本で社会人として経験を積んでから現地に行った方がいいかもしれないと思い、就職活動をして1社内定をもらったんです。一方で、カンボジアでの仕事をする可能性を探すために、大学5年生の時は現地に5回渡航しました。カンボジアで私がやりたかった仕事の場合、会社に応募して面接を組んでもらう日本の就職スタイルとは違い既存の仕組みの中に、新しい仕事を創るものだったので、人間関係を築くことが重要でした。なんのスキルも経験もないので、まずは既存のチームのお手伝いをして顔を覚えてもらって、少しずつ繋がりを作っていきました。そうするうちに、新しい事業を一緒にやる機会をいただいたんです。

最初の数ヶ月は給料の保証がないと言われたのですが、「遺跡と人を繋ぐ」という私がやりたかった活動だったので、カンボジアで働くことを決意。内定を頂いていた日本企業に内定辞退を伝えると、社長から「君のやろうとしていることは99.9%失敗すると思うけど、頭の中が全部カンボジアだから、行った方がいいかもしれないね」と言われました。その時に、「やると決めたら、それがどんなに無謀なチャレンジでも諦めない。その0.01%にかけてやる」と強く思いましたね。

濱田:とは言え、ご両親は心配されたのではないでしょうか

吉川:そうですね。仕事内容や給料など先のことがわらない土地へ行くことは、両親や周囲の人たちを不安にさせるものでした。私はひとりっ子なので箱入り娘として育てられてきましたが、そもそも箱に収まるタイプではなく、どちらかと言えば箱を内側からボコボコに潰す勢いで生きてきました(笑)。友人たちには、日本にいる時よりもカンボジアにいる時の方が元気でイキイキしているとよく言われます。カンボジアにいることに、恐ろしいほど違和感がないんです。この土地に出会って、今まで自分の中に持っていたキーワードたちが繋がっていく感覚がありました。明日が保証されない不安を抱えながらも、自分の10年先のビジョンを実現させるためにカンボジアを選んだことは、間違いではなかったと思います。

カンボジア人から「人間として生きる力」を学びたい

濱田:現在のお仕事について教えて下さい

吉川:サンボー・プレイ・クックという遺跡を中心に遺跡と人を繋ぐための観光を創るナプラワークスという会社を運営しています。サンボー・プレイ・クックはカンボジア国内で第三番目の世界遺産になるか?と注目されている遺跡なのですが、日本の歴史でいうと飛鳥時代頃に創られた寺院群と古代都市がある場所です。現在遺跡の周りにはカンボジアの方々が原風景と呼ぶような豊かな自然と美しい水田の中に、人々の暮らしがあります。ここが私に人生を方向付ける原体験を与えてくれた場所です。今この地域には、地域の魅力を訪れた人たちに伝えようと頑張っている遺跡のガイドやホームステイ

濱田:カンボジアに来て、ご自身の中で変わったことはありますか?

吉川:日本にいる時は、自分は社交的で優秀な人間だと思っていました。でも、カンボジアの村に行ったら自分が全く役に立たなくて。その時に、今まで自分ができると思っていたことは、誰かが成し遂げたことの上に成り立っているのだと気づきました。その経験を与えてくれたカンボジアの村の人たちから「人間として生きる力」を学びたいと思うように。もちろん、森から食べるものを選別したり火を焚いたりする力も重要ですが、それ以上に私がすごいと思ったのは、自分に何かあった時でも家族が困らないようにしたり、精神的に弱った時でも頼れる場所があったりする、カンボジア社会の持つ人間関係のセーフティネット力。多少の嵐があっても、滅多なことでは倒れない。彼らの「この土地に生きる者」としての力強さを学びたいと思ったんです。

濱田:生きる上で大事にされていることを教えて下さい

吉川:シンプルでいることですね。ここでは手に入るものが少ないので、自分に必要なものがクリアになっていきます。すると、考え方もどんどんシンプルになっていき、本当に生きやすくなります。日本にいると、それがなくなった時のことを想像できないほど、色んなものが当たり前にあるので、感謝がしにくかったりするんですよね。

また、日本ではよく他人の目を気にして「社会的にみたら普通はこう」と言ったりしますが、そういったものが気にならなくなりました。だって一般的にそう言われていたとしても、自分がその一般に当てはまるかはわからないじゃないですか。この場所では、今自分が耳を傾けるべき大事なものが、見えやすいのかもしれないですね。私は、生きるということは人の間に流れている目に見えない細い糸をたぐり合わせていくようなものだと思うんです。生きていく過程でその糸は何本にも縒り合わさり、気づいたら太い糸になっている。新しい糸に触れる毎に起こる、さまざまな反応や出来事にワクワクし続ける人生でありたいですね。

選択肢は、常にひとつしか選ばない

濱田:吉川さんとお話していると、本当にカンボジアが好きなことが伝わってきます

吉川:カンボジアに対するこだわりは本当に強いです。でも、だからといって明日私からカンボジアをとったら生きていけないわけじゃない。昔は自分からカンボジアをとったら何も残らないと思っていたのですが、今は私からカンボジアをとったら、私自身や家族、カンボジアで生まれた人とのつながりがちゃんと残ると思えます。いつ次のステージに移っても大丈夫、という生き方をしていきたいので、未練を残さないために、何事も全力でやることを心がけています。

濱田:進路を決める時に大事にしていることはなんでしょうか?

吉川:普通だったら、人が選ばないような選択肢を選ぶようにしています。私は小心者で意思が揺らぎやすいのがわかっているので、自分の退路を断ち切って、やらざるを得ない環境に自分を追い込むことで、ベストを尽くそうと思える。一本道しか歩けないんです。人からはよく、「YES or NOで生きている」と言われますね(笑)。20代の頃はセーフティネットとしての可能性を残さず、ひとつだけを選んでほかは思いっきり切り捨てていたので、極端だといわれることもありました。30代に近づくにつれて大切なものが増えていって、切り捨てることが難しくなり、自分自身の錨の置き所がわかりにくくなった時期もありました。他の人から見ると、ひとつのテーマで一貫しているように見えても、その都度揺れているんです。それぞれの過程を経て現在は、大切なものは、サンボーの遺跡とそれにつながる人たちと自分の家族を含めた、大きな意味でファミリーだと再びシンプルになりました。既存のセーフティネットを捨てるというよりも、自分たちの生き方に合わせた独自のセーフティネットを創ること選ぼうと考えて暮らしをつくっています。