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塩谷雅子さん

6月 20th, 2016|Comments are off for this post


海外で経験したのは、大きな挫折だった

濱田:現在アメリカ・ボストンで暮らされている塩谷さんですが、そもそも海外に興味を持たれたきっかけを教えて下さい。

塩谷:中学生の時のALTのアジア系アメリカ人の先生がすごく良い方で、英語が好きになったのがきっかけです。そこから海外に目を向け始めて、アフリカの国際協力に興味を持ちました。でも、私の出身地である鳥取県では、当時海外のことについて学ぶ手段がほとんどなくて。アフリカ関連のイベントに参加したかったので、インターネットや新聞で調べてやっと見つけたのがドイツの環境問題イベントでした。アフリカではなかったものの、それすら貴重な機会だったので、祖父と一緒に電車で2時間かけてイベント会場まで行きましたね。

濱田:では、念願の途上国への初渡航はいつだったのでしょうか。

塩谷:2006年の大学2年生の時でした。ずっと途上国に行きたかったので、3週間の海外渡航プログラムに参加してドミニカ共和国へ。しかし、体調を崩して3日間寝込んでしまい、一番行きたかった小学校訪問に参加できなかったんです。日本にいる両親にもかなり心配をかけてしまうし、現地の人たちとは英語やスペイン語での会話が上手くできず「自分は役立たずだな」と感じることばかり。初めて海外で大きな挫折を経験しました。そして、これがきっかけで自分の進路を考え直し、海外で何かする前にもっと国内に目を向けようと思うようになったのです。

濱田:だから新卒では、日系企業であるベネッセコーポレーションに入社されたのですね。

塩谷:はい。私は地方出身で自分の興味のあることを学ぶ機会を得られなかったので、そういった学びの機会を多くの人たちに提供できる仕事がしたくてベネッセに入社しました。でも、「いつか海外関連の仕事に携われたら」という思いも心のどこかで持っていたんです。そうしたら、入社4年目にあるきっかけがあって、インドネシアでの事業に関われることに! それは、2012年にアメリカのボストンで開催されたハーバード社会起業大会スタディーツアーがきっかけでした。

人生を大きく変えた、ハーバード社会起業大会スタディーツアーでの出会い

濱田: 実際にこのツアーに参加してどんな出来事があったのでしょうか?

塩谷:人生を変えるきっかけとなる出会いがふたつありました。ひとつ目が、今の夫でありビジネスパートナーでもあるダンさんとの出会い。ふたつ目は、ベネッセで同じように途上国に対して何かしたいという志を持つ方との出会い。社内にこんな人たちがいるんだ! と背中を押され、彼らの協力もあってインドネシアでのCSR活動に携わるようになったのです。活動内容は、インドネシアの教材のない学校へ教具を送るプロジェクト。また、その他にも、インドネシアの貧困層の方たちへの教材作成にも関わりました。1年目から算数などの教材作成を担当していたのですが、それを続けながら4、5年目はインドネシアに関わる活動をするという、二足のわらじ状態。目が回りそうなくらい忙しかったのですが、今までずっとやりたいことだったので、本当に充実していましたね。

濱田:まさに、教育と国際協力というやりたいことがカチッとはまった状態ですね。

塩谷:はい。そして、このインドネシアでの活動が「アメリカで働く」という決断に繋がりました。実は、当時の私はなかなか自分に自信が持てず、「海外で働くなんてやっぱり無理」と思っていたんです。でも、インドネシアで英語を使って現地インタビューをしてみたら、「あれ、意外とできるかもしれない!」と思えて。当時は今の夫と付き合い始めて1年目で、結婚も考えていました。すでに彼は起業していたのですが、今までの経験を活かせる部分がたくさんあると思い、5年目で退職しアメリカに移住しました。

濱田:長期での海外滞在経験もなく、アメリカに移住して起業に参画することに不安はなかったのでしょうか?

塩谷:ほとんどありませんでした。海外に住んだことがなかったので逆に想像ができなくて、出たとこ勝負だと思って飛び込みました(笑)。夫のサポートもありますし、夫の友達も心優しい人ばかりなので安心して暮らしています。また、事業への参画は、今後の自分の命の使い方を考えた時に、日本の子どもたちだけではなく世界中の子どもたちに学びの機会を届けることにチャレンジしたいと思って決心したんです。実は、5年目の時に手術をして……。10日間の入院だけで命に別状はなかったのですが、死を身近に感じた時に、悔いのない選択をしたいと思いましたね。

世界中の子どもたちの、学びの選択肢を増やしたい

濱田:ダンさんが創業されたSkylight Games(スカイライト・ゲームス)の事業内容について教えて下さい。

塩谷:音楽で言語を学べるアプリLyriko(リリコ)をリリースしています。英語を話せないために良い仕事につくことのできないアメリカの移民を支援すべく立ち上がり、最初は母語として使っている移民が多いスペイン語とポルトガル語からスタートしました。Lyrikoでは、ユーザーが気に入った曲のリズムにのって音楽を聴いていくうちに、新しい単語を覚えることができます。私自身、ベネッセで働いていた時に算数の歌などを作っていたので、「歌で覚える」というプロセスに非常に共感しました。楽しみながら学んでいくこと、そして語学を通じて様々な世界を知ってもらうこと、学校に行かなくても学びの選択肢を増やすこと、たくさんの願いを込めて、この事業を行っています。

濱田:塩谷さんは具体的にどのような仕事をされているのでしょうか?

塩谷:私が任されているのは、プログラマー、翻訳者、アーティストのマネジメントです。プロデューサーという肩書きですが、プログラマーが作ってくれたツールを使ってプログラミングの元になるような素材を作ったり、コンテストでのピッチをしたりと何でもします。メンバーは約13か国約20人で、全員リモートワークです。

濱田:日本の働き方と大きく異なる部分はありますか?

塩谷:日本人は自分の業務に関わる仕事だと、自ら汲み取ってやってくれると思うのですが、出身国によっては「自分の仕事はこれ」と決めたらそれ以上のことはしません。きっと責任が及ぶのを避けるためなんですよね。だから、「こことここは繋がっているから、あなたにやってもらった方が円滑に進むんだよ」という補足説明を欠かさないようにしています。一方で、日本人の働き方は、日本人の国民性に頼り切っていると思います。例えば、多くの方が勤勉なので、締め切りを設定して業務料を払えば、みんなきちんと仕事をするという前提で仕事をしています。でも、他国の人と働くと、締め切りがあって仕事が終わらなかった場合は仕事をお願いした方のマネジメント責任にもなるんです。これから外国の人と働くに従って、日本式の働き方だけでは通用しないことも増えていくと思います。だから、その辺りを上手くマネジメントしていけるように経験を積んでいきたいですね。

濱田:今後の活動について教えて下さい。

塩谷:Lyrikoのアメリカ展開や、他言語でのマーケティングに力を入れたいですね。将来的には途上国に出て、アジアやアフリカの言語を増やしたいと思っています。他にも、今後は育児をしながら働きたいと考えていているので、新しくベビーシッターを始めました。友人の子どもを週に1回預かって、子どもを育てながらどうやって働くかのシュミレーションをしています。いずれは夫と家で子どもを育てながら、子どもが勉強したいことに合わせて教えていくホームスクーリングをしたいですね。働き方や子育ての仕方など、たくさんの可能性を模索していきたいと思います。