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秋吉恵さん

濱田 真里
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WAVOC(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター)の教員を務める、秋吉恵先生。先生はこれまで、民間企業やNGO、外資系企業などさまざまな環境を渡り歩いてきた。今回のインタビューでは、もともと獣医としてキャリアをスタートさせた先生が、開発途上国の開発に携わるようになるまでのユニークなキャリアパスを中心に、学生時代や子育てなどさまざまなお話を伺った。

「くそっ!と思って会社を辞めちゃった(笑)」

濱田:まず、秋吉先生が大学を卒業してからWAVOCで働くようになったこれまでの経緯を教えてください。

秋吉:北海道大学の獣医学科を卒業してから7年間、大手食品メーカーの研究所で医薬品やアミノ酸研究の仕事をしていました。30歳の時に結婚したんですが、その直後に旦那がインド駐在になってしまったんですよ。でも当時の私には任せられていた仕事があったから仕事を辞めることができなくて、彼が単身赴任することに。仕事が一段落して休職しようと思ったんだけど、人事からOKが出なくて、くそっ!と思って会社を辞めちゃいました(笑)。そのあと私もインドへ行ったんですが、それまで働くサラリーマンだったから暇に慣れていなかったので仕事を探し始めました。もともと貧困とか開発途上国の仕事がやりたいと思っていたので、現地のNGOを紹介してもらって、そこで貧困地区の獣医として診療の仕事をすることになったんです。

濱田:もともと「貧困」とか「開発」に興味があったんですか?

秋吉:そうですね。実は私、大学卒業直前に青年海外協力隊の採用試験に落ちているんですよ。それで泣く泣く会社に入ったのね(笑)ちなみに学生時代はバックパッカーだったんですよ。

濱田:そうだったんですか?!私もバリバリのバックパッカーです!

秋吉:私もバリバリのバックパッカーでした。最初は大学2年生の春。中国からパキスタンの国境近くのカシュガルまで、シルクロードをずっと上がっていったんです。そしたら、どうもあの雰囲気がたまらなく好きになってしまって、そこから南アジア一直線になってしまいました(笑)。インドとか開発に携わるようになったのも、バックパッカーの経験があったからだと思います。シルクロードが今の私を作ってしまいましたね(笑)。学生時代は休みのたびに南アジアを回っていたんですけど、実はインドだけ行かなかったんですよ。何でかっていうと、行ったら帰ってこられなくなりそうな予感がしたから(笑)。行ったら、元の自分に戻れなくなるような感じ。だから旦那がインドに赴任になった時は、そういう意味では嬉しかったですね。・・・でも、実際に行ったらやっぱり戻れなくなっちゃいました(笑)。

濱田:先生すごい直感(笑)!

「『社会』というものを勉強しなくちゃいけない」

秋吉:バックパッカーで当時から現地の生活を見るのが好きだったのもあって、大学卒業後は青年海外協力隊に入りたいと思っていたんだけど、夢破れました。でも、そのあと実際にインドで働いて、「あの時青年海外協力隊に落ちた理由が分かったなぁ」と思っています。純粋すぎたんでしょうね。助けてあげるという感覚が強すぎたんだと思います。あと、私は研究者タイプで獣医の科学的な知識というのはあった。でも現地で実際に働いてみると、獣医の医療の技術がいくら高くても家畜を全く治すことができないということがあるんですよ。

濱田:それはどういうことですか?

秋吉:インドでは家畜の移動診療をしていたんですけど、診療して薬を出して、処置の指導をいくらやっても治らない。全然改善が見られないんですよ。その時は「もともと研究所にいた人間だし、私の治療技術が低いんだな」って落ち込んだりして。でも1年くらい経った時に、はたと治せない理由に気がついたんです。何だと思いますか?

濱田:相手が信用してくれなくて、指導の通りに薬を飲ませていなかったとか?

秋吉:そういう可能性も考えたんだけど、そうじゃなかったの。インドの農村で家畜の世話をするのは女性の役割なんですよ。だから獣医である私たちは実際に家畜の世話をしている農家の女性に指導しないといけない。でも私たちはずっと男性に指導をしていたんですよ。なぜなら、私たちのような外国人ドクターが来たら、その家の一番偉い世帯主が対応するというのがインド社会の規範だから。だから何の意味もないことを1年間繰り返していたの。それに気がついた時に、「どんなに技術や知識を身につけてもだめなんだ。もっと『社会』というものを勉強しなくちゃいけないんだ」と思いました。だから帰国後は外資系の製薬会社やNGOで働きながら、社会開発を勉強するために大学院に行きました。マスターを出たあとももの足りなくて、結局ドクターにも行きました。でもドクターを出るのに5年かかりましたね。その間に子どもを生んでいたので。ドクターを出たあとは1年くらいその大学の研究機関みたいなところにいて、去年からこのWAVOCで働いています。

濱田:なんだか波乱万丈ですね!

「自分のやっている小さな仕事が、実は大きな仕事や世界に繋がっている」

濱田:去年就職活動をして、たくさんの就活生に会うなかで感じたことなのですが、最近の若い人たちは自分のやりたいことを仕事としてやっていきたい気持ちはあるけれど、苦戦したり不安になったりして、結局諦めてしまう人たちが多い気がします。先生は獣医の仕事も開発の仕事も実現されていますが、大学を卒業する時にはどんなふうに考えていましたか?

秋吉:大学卒業した時は、青年海外協力隊に落ちて夢破れていましたね。大学の40人の同級生のうち3人受けて、私だけ落ちたんですよ。でもね、逆に青年海外協力隊に受かった2人はそこで想いが達成されちゃったから、今は2人とも開発とは関係のないところで獣医の仕事をしています。未だに途上国だの農村開発だの言っているのは私だけです(笑) 。だから、あの時悔しい思いをしたのは大きいと思う。

濱田:そうだったんですね。じゃあ逆に悔しかった思いがあったから、今の先生があるということですね。

秋吉:そう、絶対そうだよ。あの時受かっていたら、現実に打ちのめされていたのは確実でしょ。途上国なんてそんなに簡単なところじゃないから。それに、会社で仕事をした経験というのは、自分にとってすごく大きかったですね。

濱田:そこのところをお聞きしたいです!これから働く身としてとても気になります。

秋吉:国内の企業から外資系の製薬会社、さらにNGOで働いてみて思うのは、小さい組織であればあるほど、仕事をするための仕組みとか制度が整っていないことですね。領収書の発行とかノートテイクとか、自分のやっている小さな仕事が実は大きな仕事や世界に繋がっているんですよ。大きな会社はそのための仕組みを何十年という時間をかけて作ってきているから、その一つ一つの仕事がいちいち納得できるとすごくキレイな仕組みが見えるんですよ。国内の企業はそういう意味ですごく勉強になるし、日本人はそういう仕組みを教えるのが上手だと思います。でも大学を卒業していきなり整っていないところに行くと、整っているとはどういうことなのかを学ぶ機会がないですよね。私はそういう仕組みを見てから小さいところに行ったから耐えられたというか、その中で仕組みを作ることができました。

濱田:なるほど!

秋吉:日本の企業で叩き込まれた知識や技術は、インドで働いていた時も、WAVOCで働いている今も、すごく役に立っています。働いていた時は気づかなかったけど、企業で働いた7年間は宝ですね。

濱田:先生はすごく大きな視点で物事を見ている感じがします。

秋吉:そうね、でも私は特別「大きな視点でやろう」なんて思っていなかったですよ。結局はやり方だと思います。私はお局といわれる先輩から色々教わったけど、例えばコピー1つとるのだって、できるお局は上司がコピーしろと言った原稿に全部目を通す。そうすると次の会議は何があるとか、この人が次に何をしたいとか分かるじゃないですか。できるお局の先輩っていうのは、仕事のやり方をすごく良く分かっていますよ。

「楽しいからやっているだけ」

濱田:夢破れて悔しい思いをして、泣く泣く就職したことが、結局は今の秋吉先生をつくっているんですね。 ところで国際協力の仕事がやりたいという思いは、会社で働いている間もずっと持ち続けていたんですか?

秋吉:会社に入って1,2年は「いつ辞めようか」くらいの気持ちだったけど、どんどん仕事にはまっていきました。大学を卒業して上京した時はボランティアをしようと思ってNGOを訪ねたりしたんだけど、最初の1年はまったく余裕がなかった。でも仕事で半年鹿児島にいた時、毎日仕事以外にやることがなくて。その時に東京に帰ったらボランティアをやろうと思ったんですよね。だから社会人の時はシャプラニールというNGOでずっとボランティアをしていました。シャプラニールはバングラデッシュはじめ南アジアの数カ国で最も取り残された人たちを支援していて、私にとっては憧れの場所です。もしかしたら「相手に寄り添う」という一貫する気持ちを作ったのも、シャプラニールでのボランティア経験かもしれません。

濱田:やりたいこととはいえ、働きながらボランティアをするというのは大変ですね。

秋吉:そう、それも終電帰りを繰り返すような働き方をしながら、ボランティアをしていました。でもすごく楽しかった。一緒にボランティアをしていた仲間がすごく良かったんですよ。ほとんどみんな社会人で、それぞれの社会でそれぞれの生き方をしながらボランティアをしていて。

濱田:そういうのってかっこいいですよね。

秋吉:すごく楽しくて、だからボランティアに行っていたんです。でも会社の人には言えなかったですね。別に言っても問題ないんだけど、「偉いね、こんなに忙しいのに」って言われるのが面倒くさくて(笑) 。「いや、偉くないよ。楽しいからやっているだけだよ」って言っても、みんな「偉いね」しか言ってくれないじゃない。だから会社の人には言わなかったですね。

濱田:ボランティアをしていると言うと、ただ単純に楽しくてやっているだけなのに、「心が清らかなんだね」みたいな言い方されることってありますよね。全然違うのに。ボランティアって、結局自分のためにやっているというか、全部自分に戻ってくるんですよね。

秋吉:そうそう。本当にそう思う。人のためっていうより、自分のためになっているよね。

「相手の意見を尊重すること、相手に寄り添うこと」

濱田:先生は日本企業で働いたり、インドのNGOで働いたり、大学院に行ったり、色々な経験をされていますが、一貫して変わらない軸とかテーマはありますか?

秋吉:なんだろう。社会貢献というのはあるけど、そんなに大きなことじゃなくて、どちらかというと相手を大事にするということだと思います。相手に寄り添うようなイメージかな。例えばインドで獣医の仕事をしていた時は、一緒に働いていた人たちの多くが動物愛護の思想が強いヨーロッパ系の人たちで、シビアに西洋医療を推し進めていく人が多かった。でも私は、家畜を失うということがインドの人たちにとってどういう意味を持つのか聞いていたし、動物愛護というよりは、その人たちのためになりたいと思っていました。だから彼らが良いと思っている伝統的な治療法があるなら、まずはそれを試してみる。相手の意見や立場を尊重するというか、相手に寄り添うというか。それは会社で医薬品の研究をしていた時も、いわゆる開発の仕事をするようになってからも、できるだけそうでありたいと思っています。

濱田:そういう風に思ったきっかけは何ですか?

秋吉:なんでしょうね。でもバックパッカーで旅行をしていた時から、できるだけ現地の生活を知りたいという思いは持っていましたね。

「お互いにやりたかったことがクロスした」

濱田:ところで、先生がインドに行くきっかけになったのは、結婚してすぐに旦那さんがインドに赴任になったからだとおっしゃっていましたが、先生の旦那さんはどのようなお仕事をされていたんですか?どんな方なのかすごく気になります。

秋吉:どんな人かなぁ(笑)。私の旦那というと、腕っ節の強そうな熱血漢をよくイメージされるんですが、実際は間逆で冷静沈着系。芯は熱血漢だと思いますけどね。インドに赴任になった当時は、JBICという国際協力の団体で円借款の仕事をしていました。

濱田:結婚の決め手は何だったんですか?

秋吉:なんでしょうね(笑)。でもタイミングっていうのは大きいと思うんですけど。

濱田:働く女性がどういうタイミングで結婚するのかすごく気になっていて、私はいつ結婚しようかともう悩んでいます(笑)。

秋吉:もう悩んでいるの?!私は大学を卒業した頃、結婚は考えていませんでしたね。夢は破れているし、「まだこれからだ!」みたいな感じで。3年働いたら改めて青年海外協力隊に応募しようと思っていたくらいでしたからね(笑) 。その後も仕事にはまってそれどころじゃなくなったし、結婚なんて全然考えてなかった。でも無我夢中で働いて7年ほど経った時に、やっと携わっていた仕事がひと段落して、結婚したくなったんだと思います。

濱田:まさにタイミングですね!

秋吉:そうだね。相変わらず終電続きの働き方で、忙しいのは変わらなかったんだけど、気分的に楽になった時期だったんですよね。たぶん彼もそう言うと思うんだけど、タイミングだったんだと思う。

濱田:実際に結婚されて、仕事とかプライベートで何か変わったことはありましたか?

秋吉:ものすごく楽になりましたね。心が安定したと思います。それまでが不安定だったわけじゃないけど(笑)。やっぱり私はずっとやりたかったんだろうね、途上国に関わる仕事が。旦那は国際協力の仕事をしている人だったから、それも結婚した大きな理由だったのかもしれない。ちなみに私は国際協力の仕事がしたくてできなかった人で、うちの旦那は獣医になりたくてなれなかった人なんですよ(笑)。

濱田:そうなんですか?!すごい!!

秋吉:お互いやりたかったことが交差したというか、それが嬉しかったんだと思います。あの時やり残したことが、ここに来た!みたいな感じだったんだと思う。私は確実に彼に取り込まれて獣医を辞めてしまいましたが、実は彼も今は国際協力の仕事を辞めて研究者になったんですよ。大学の教員なんですけどね。

濱田:えーっ!なんかクロスしていますね!なんだか生き別れた双子みたいですね(笑)。

秋吉:そんなドラマチックなことじゃないんですけどね(笑)。

「自分がいいなと思う環境は、できるだけ子供に与えてあげたい」

濱田:ところで先生にはお子さんがいらっしゃると伺いました。

秋吉:4歳の子どもがいます。憎たらしい盛りですね(笑)。男の子のほうが今のところは楽ですね。でももうちょっとしたら大変。

濱田:国際協力系の息子になりそうですね。親の影響はやっぱり強いと思います。

秋吉:どうだろうね(笑)。二人ともそうだから反発するくらいの方が楽しいけど、親の影響は大きいかもしれません。私が大学を卒業した時、ちゃんと就職しなきゃと考えていたのは、生計を立てていた父親がサラリーマンだったから。それでも研究者になったのは、父方の祖父が研究者で、色んな話を聞いていたからだと思います。開発の仕事をして、農村に通いまくっていたのは、父親の実家が農村だったからだと思うし。親の影響というのは絶対あると思いますよね。

濱田:ちなみに先生はどんな子育てをなさっているんですか?

秋吉:年齢が高くなってから生まれた子どもだから、新鮮さというのはあるんだけど、おたおた感というのは他のお母さんより少ないと思うんですよ。獣医というのもあって、病気になっても「これはこうこうこうだから、こうね。」みたいな(笑)。

濱田:なんだかプロフェッショナルですね(笑)!

秋吉:理系医学系の勉強をしてきた人って、そういうのがあるんですよ。会社に勤めていた時代の同僚もよく言っていたんだけど、自分の子どもを妙に客観視してしまうことがあるんですよね。特に子どもが小さい時は予測可能な部分が多すぎて、患者対医師みたいになっちゃうというか(笑)。それが3歳くらいになるとコミュニケーションが取れるようになって、動物から人間になるんですよ。人間になってからの方が付き合いは面白いかな(笑)。

濱田:なんだか独特ですね!動物から人間になるなんて、初めて聞く子育て観です(笑)。ところで先生は、子育てに関して何かこだわりなどありますか?

秋吉:子どもの意思は尊重したいし、自分がいいなと思う環境はできるだけ与えてあげたいなと思っています。住んでいる場所が東京近郊だと、どうしても人工的なものに囲まれるじゃないですか。だから日本の四季を感じられるような生活をさせてあげたいと思っています。保育園に通わせているんですけど、田んぼの中の一軒家みたいなところなんです。毎日ぞうりで遊んだり、冬は休耕田でサッカーをしたりね。家からその保育園までは歩いていけないので、「駅前の保育園のほうがいいな」と思うこともあるけど(笑)。私自身、小さい時に田んぼで遊んだり、縁側でスイカの種を飛ばしたりした記憶があるんですけど、その経験が自分では大きいと思っていて。小さい時のそういう経験って、後になっても残るじゃないですか。だからそういう記憶を自分の子どもに持ってほしいと思うんですよね。

濱田:それ、分かります!私もせみの抜け殻を集めた時のことをすごく覚えています。そういう記憶って、大事ですよね。

「目の前のことだけに囚われないこと」

濱田:最後に、学生や社会人になって間もない人たちに向けて、アドバイスをお願いします。

秋吉:生きていると、色んなことがあります。特に就職をしたりして新しい世界に入ると、自分とは価値観が全然違う人もいるし、軋轢もたくさんある。でも、すぐ目の前にあることだけにあまり囚われないでほしいです。苦しかったり嫌なことがあったりすると、目の前の苦しさや辛さばかり意識してしまいがち。でも、それってやっぱりもったいないと思うんですよ。例えば自分の将来について1年悩んだとします。でも1ヶ月後にすごく嫌なことがあって、それに囚われてしまったら、1年間悩んだ自分がなくなってしまうじゃないですか。それが「もったいない」と思うのなら、気分だけ半年前に戻ってみるとか、囚われている原因を見ないようにするとかね。思いが強いというのはいいんだけど、それが「囚われている」になっちゃうと、すごくもったいないと思うんだよね。

濱田:何かに囚われてしまうとついそれにしか目を向けられなくなって、余裕をもてなくなってしまったりしますよね。目の前にあることもそうですが、私たちはそれぞれ自分の中にある常識にも囚われていると思うので、そこにも囚われすぎず、他の人の常識にも目を向けて認め合うことが必要なのかなとお話を伺っていて思いました。


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