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大河原りえさん

9月 15th, 2016|Comments are off for this post


腹を括って、シンガポールに飛び込んだ

濱田: 新卒でシンガポール就職をされていますが、どのようにして仕事を見つけたのでしょうか?

大河原:知り合いから日本人を募集している企業を紹介してもらい、最初の就職先が決まりました。本当はシンガポールでインターンをした宿泊施設の予約サイト運営会社で最終選考まで進んでいたのですが、私ではなくシンガポリアンを雇うことになったのです。滞在できるビザの残りが約1週間だったので会社を選んでいる余裕はなく、紹介してもらった老舗ホテルの面接を2回受けて決まりました。でも、海外では内定をもらうことと、ビザが発行されるかどうかは別問題。もしビザが発行されなければシンガポールで働くことはできません。でも、その時はその時だ! と腹を括って日本で内定をいただいた企業をお断りして、シンガポールへ向かいました。そして無事2週間後にビザが発行され、シンガポールでの仕事が始まったのです。

濱田: なぜそこまでして、大学卒業後すぐにシンガポールで働こうと思われたのでしょうか?

大河原:大学時代に出会ったシンガポール人の彼氏と一緒にシンガポールで働き、ゆくゆくはふたりが出会った留学先のチリで暮らすことが目標だからです。でも、親には「まずは日本で3年間働きなさい」と反対されてしまって。親の反対を押し切る形になってしまいましたが、私は自分の気持ちに正直でいたかった。生まれて初めて親と大喧嘩をして、泣きながらシンガポールに飛び立ちました。シンガポールで働き始めても、お互いに連絡は取りつつも理解はできないまま1年が過ぎた頃に一時帰国しました。その時に親と改めて話して、「あなたの人生だから、あなたの好きにしなさい」と言ってもらえて嬉しかったですね。

誰も行かない国を選んで、チリに留学した

濱田: 初めての海外経験はいつだったのでしょうか

大河原:父の仕事の関係で2歳から5年間ほどイギリスに住んでいました。私が通っていた現地校の幼稚園では、生徒たちがそれぞれが違う環境で育っていたので、考え方や話す言葉もみんなばらばら。「みんな違う」ということが当たり前でした。しかし、小学生の時に日本に帰国してから感じたのは、あまりにも「みんなが同じ」ということ。それぞれの個性がないことにとても違和感を覚えました。

小学校で朝読書の時間があり、そこで黒柳徹子さんの著作『窓ぎわのトットちゃん』を読みました。「自分に似ている!」と思い、そこで初めて日本ではみんなと違うと後ろ指を指されることを知りました。そこから黒柳徹子さんの大ファンになり、小学校1年生の時から彼女が出ているTV番組『世界ふしぎ発見』を見ていました。すると、だんだんと「自分は大人になったらテレビレポーターになる」と思うように。中学校の三者面談時に「ミステリーハンターになりたい」という夢を初めて言いました。もちろん、親も先生もびっくりしていましたが、私は本気でしたね。

濱田: それで留学をしようと思ったのでしょうか?

大河原:いいえ。実は、母親が高校生の時にアメリカ留学して人生が変わったという経験をしているので、中学2年生の私に留学をすすめてきました。でも、突然言われたのと反抗期だったこともあって、留学するつもりはありませんでした。そんな私を変えたのが、国際交流団体主催の国際交流キャンプで出会った日本に留学している16歳のラトビア人やアルゼンチン人、オーストラリア人の青年たち。日本語を上手に話す彼らを見て「私もこういう風になりたい」と思い、家に帰ってすぐに「留学する」と母に伝えました。

濱田: 高校1年生の留学先としてチリを選ぶのは珍しいと思うのですが、この国をあえて選んだ理由とは

大河原:留学先としてチリを選んだのは、「どうせ行くならミステリーハンターっぽく、誰も行かないような場所がいい」という思いからでした。世界史の授業中、机の上に地図を広げながら、日本から一番遠くて、名前も聞いたことのない、何も思い浮かばない国をさがしたのです。そして候補として出たのがアルゼンチンかチリでした。アルゼンチンはサッカーが強いと知っていましたが、チリは何も情報がなかった。そこで、チリに決めました。この留学経験で、私の人生は大きく変わりました。もし行かなかったら、今の自分はありません。そして、大学でもチリに留学したいと思った私はチリに留学できる大学を探し、必死に勉強して第一志望の早稲田大学に入学したのです。

「自分の意志で生きていくこと」を学んだ大切な場所

濱田: 留学先のチリで起きた、大河原さんの変化とは?

大河原:チリに行く前の私は、自分よりも他人の喜びや幸せを優先したいと思っていました。「自分のことは後回しにする」というクセがついていたように思います。そんな私を変えてくれたのは、チリで出会ったホストマザーとホストファザーでした。ある時、ホストマザーから「チリで嫌いなものはある?」と聞かれて「何もない」と私は答えました。すると、真顔で「りえは嘘ついている。人は好きと嫌いが必ずあるのだから、言ってみなさい」と促されたのです。そう言われて、初めて私は自分の嫌いなことがわからないことに気がつきました。

それまで私は相手の顔色を伺いながら行動していたので、もし自分が嫌いなものを言うと相手が嫌な思いをするのではないかと、自分の嫌いな食べ物でも好きと言ったり、あまり好きではないスポーツでも参加したりしていました。でも、ホストマザーに「ここはチリだから、好きなことと嫌いなことははっきりさせて、自分の意志で生きていきなさい」と強く言われ、少しずつそれを受け入れていくように。目の前に選択肢が現れた時に、これを好きなのか嫌いなのかを判断する特訓をしました。ホストマザーも手伝ってくれて、朝のシリアルをわざと2つ買ってきて、「どっちが良い?」と聞いてくれたり。「どちらでも良い」は絶対にダメと言われましたね。「自分で選択できなければ、りえは今後の人生で絶対苦労する。誰かの意見で選ぶ人生は絶対だめ。自分で決めなさい」と言われ、少しずつ決められるようになりました。今の私の核の部分は、この経験で出来上がったと思います。

今行動しなければ、もう夢ではなくなってしまう気がする

濱田: 今後はどのように働かれていくつもりでしょうか

大河原:来年以降、彼と南米で働くのが夢ですね。今は仕事で英語と日本語を使っていますが、今後は是非スペイン語も使って仕事するような環境に飛び込んでいきたいんです。やはり思い入れの多いチリで挑戦したいと今は思ってます。そのためにシンガポール在住の南米出身のグループに参加したり、南米にネットワークがある人へアプローチしたりとふたりで少しずつ準備を進めています。

新卒でシンガポールに来ると決めた時、同じような経験をした人がいないか必死に探しました。心の奥で自分の決断を正当化させたかったんだと思います。残念ながら、そういう方を見つけることはできませんでしたが、シンガポールに飛び込んでみてからは、びっくりするほどたくさんの方に会いました。みな、ロールモデルを探して同じような道を歩む人生より、前例がなくとも自分の意志でそれぞれの人生を歩んでいてとても素敵です。

時々自分の将来がどうなるかわからず怖くなることもありますが、それも後では笑い話になるように、前へ前へ進んで行きたいです。思い返してみれば、何も知らないチリに飛び出した16歳の自分は、怖さよりも楽しむ気持ちの方が多かったように思います。あれから10年経ちましたが、ここ数年で「南米で働いてみたい」という夢を実行しなければ、もう夢ではなくなってしまう気が最近してきました。実行に移さずに後で後悔することだけはしたくないので、思い切って飛び込みます。いつどこでどんな経験や素敵な出会いが待っているかわからないのだから、「ネガティブなどきどき」を「ポジティブなわくわく」に変え、今後も自分の心に素直に正直に生きていきたいです。