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井出留美さん

濱田 真里
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奈良女子大学家政学部食物学科卒業後、ライオン(株)家庭科学研究所に入社し、その後JICA(国際協力機構)青年海外協力隊員としてフィリピンへ。帰国後日本ケロッグ(株)入社。5年間、女子栄養大学社会人大学院で栄養学を学び、修士課程、博士後期課程修了。2011年3月11日、誕生日に発生した東日本大震災をきっかけに、被災地に支援物資を運搬する活動を始め、2011年9月に日本ケロッグ退職。個人オフィス「office3.11 」を立ち上げ、現在は戦略的PRコンサルティングや、ソーシャルメディアを活用した食のPR、フードバンク活動に携わるセカンドハーベスト・ジャパン(NPO法人)の広報やプロジェクトマネジメント、講演、食育授業など、食と広報、社会貢献に関わる幅広い分野で活動中。

「やっぱり実際に暮らしてみないと、その土地で必要とされているものは分からない。」

濱田:井出さんが青年海外協力隊に参加された理由は何だったんですか?

井出:理由は3つあります。1つはボランティアの面白さに気づいたから。私は新卒で研究の仕事をしていたんだけど、研究の成果って世の中に出るまでにすごく時間がかかるから、自分の仕事が役に立っているという実感が得にくいんですよね。でも、ボランティアは違う。自分の働きによって、目の前のいる人が喜んでくれるからね。研究の一環で参加した介護ホームのボランティアでそれを実感して、その楽しさに目覚めたんです。2つ目は食に関わる仕事がしたかったから。何故だか分からないけど小さい頃からの夢だったんです。そして3つめはアジアに興味があったから。この3つのキーワードに合致する仕事が何かないか探していたところで見つけたのが協力隊だったんです。

濱田:でも、会社を辞めて協力隊になるということに周りは反対しませんでしたか?

井出:99%の人は反対。特に私は父を亡くして母と弟しかいなかったから、何で安定した職を捨てて2年間も途上国に行くの?って感じでした。でも、どうしてもやりたかったから意外とあっさり辞めました(笑)。

濱田:フィリピンでは協力隊としてどんな活動をされていたんですか?

井出:モロヘイヤの普及活動をしていました。モロヘイヤは栄養価が高い上に、現地では安く売られているんだけど、ネバネバしているからという理由で全く活用されていないんです。だからネバネバしない料理法や栄養価の高さとか、モロヘイヤを使ったクッキーを作って収入を上げる方法を伝えるなどして普及活動をしていました。物やお金をあげてもそれっきりだけど、技術やノウハウを伝えれば自活出来るようになる。これは協力隊で学んだことです。

濱田:それだけのことを2年間でするのは大変そうですね。

井出:そうですね。最初は言葉も分からずいきなり放り込まれたので本当に大変でした。やっぱり実際に暮らしてみないとその土地で必要とされているものって分からない。試行錯誤の連続でした。2年目からはやっとネットワークが出来てきて、まともに活動出来るようになったんだけど、丸2年経つ直前に鬱状態になってしまって。それですぐ帰ることになりました。

濱田:一体何が原因だったんでしょうか…?

井出:人間関係や食生活…色々な要因が重なったんだと思います。頑張りすぎちゃったんですね。当時は任務を全うできなかった自分を責めました。しかも無職で時間はあるのにやることがない。そのうちストレスで味も分からなくなっちゃって。辛かったですね。でも、ずっと休んでもいられないので何かしら仕事をしようと思って、紀伊国屋書店で契約社員として働き始めたんです。

濱田:少しずつ復帰されていったんですね。

井出:そうですね。そうやって働いている時に偶然雑誌でケロッグの求人を見つけました。もともとやりたかった食べ物の仕事ということと、求人の条件だった英検や消費生活アドバイザーの資格をたまたま持っていたということもあって、とりあえず受けてみたら受かったんです。最初はアシスタントとしてクレーム対応をしていたんだけど、5年くらい経った頃から上司の仕事を引き継いで、広報や栄養関係の仕事をするようになりました。

「組織に従属するのも自分の力を付けるのも、自分次第」

濱田:井出さんはケロッグに勤めながら大学にも通われていたんですよね?

井出:お客様から糖尿病や人工透析といった専門的なことを質問されることが結構あるんだけど、答えられないことがあってきちんと勉強しようと思ったんです。あと、アメリカにあるケロッグの研究所には、日本と違って修士などの学位を持っている社員が当たり前のようにいるんですけど、そういう人たちと仕事をする中で、「修士くらいは出た方がいいんじゃないか」と上司に言われたことがあって。それも学位を取ることを考えるようになったきっかけ。

濱田:博士号の学位を取ったことで何か変わったことはありますか?

井出:外で食育や食生活について講演する機会が増えましたね。学位を取ると、会社の肩書きがなくてもそういう機会に恵まれるんですよね。だから会社の中に納まってしまいがちな普通の会社員よりは、社外の人と触れ合う機会に恵まれていると思います。私は会社の名前を出して「どうだ!」ってなるのが嫌なんです。それにぶら下がっているだけじゃ、自分の力がつかないじゃないですか。会社の名前ではなく、なるべく自分の名前で仕事が出来るよう心がけています。

濱田:井出さんはもともと勉強が好きだったんでしょうか?

井出:実は学部の時はあんまり勉強していなかったんですよ(笑)。逆に社会人になってからの方が勉強するようになった。仕事と直結しているから、「やらないと!」っていう気持ちになるんですよね。学生の時は「これが何になるの?どう繋がるの?」って思っていたんですけど、社会人になると何故学ぶのかがはっきりする。それに時間も限られるから、一生懸命やるんですよ。組織に従属するのも、自分の力を付けるのも、自分次第だと思いますよ。

「自分が経験して積み上げた分だけ、沢山勇気を得られるはず」

濱田:「オフィス3.11」というのは、やはり震災に関連しているんですか?

井出:そうなんです。最近会社を辞めて個人でこの活動を始めました。会社に勤めていた時もボランティア休暇を使って物資を運んだりしていたんだけど、もう少し深く関わりたいな、と思って。それと実は、3月11日って私の誕生日なんです。だから今回の震災には運命を感じていて。それも独立した理由の一つです。

濱田:外資系だとヘッドハンティングなども結構ありそうですよね。

井出:あったけど、全部断りました。私は栄養価の優れた食品で世界の健康に貢献するという価値観に共感してケロッグで働いていたので、他の会社にはあまり興味がなかったんです。私は仕事だから関心のない物でも何でも割り切ってやるというよりは、関心がある物とか自分がこれだ!と思った物に携わっていきたいと思っているんです。どういう働き方をしたいかは人それぞれですけどね。

濱田:最後に、若い人たちにメッセージを下さい。

井出:私が今までの経験から学んだことは、積み重ねることの大切さです。目尻のシワの研究をしていたことがあるんですけど、20、30代は老化の差が皮膚にあまり出ない。でも、40、50代になるとそれが一気に出てくるんです。それは人の経験も同じ。20代の頃ってそんなに差がないじゃないですか。でも、経験がどんどん積み重なっていくとそれが広がっていく。だから恐ろしくもあるけど、面白くもある。そう思えると、年を重ねるのが楽しくなるんですよね。社会人になると、会社にぶら下がって生きていく人も出ると思うんです。自分はもう安定したから大丈夫、みたいになって、自分からアクションを起こさなくなっていく。でも、結局自分で積み重ねていくことが一番大事ですね。どの方向に進むかは、自分の心の声に従っていくことがいいと思っています。自分が経験して積み上げた分だけ、沢山勇気を得られるはずですよ。


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1 Comment

  1. アバター
    Dr. Rumi Ide 2012年3月20日

    濱田真里さん、100人のインタビュー達成、おめでとうございます!ベトナム・ホイアンで取材して頂いたこの記事と写真を掲載して頂いたこと、嬉しく思います。これからも、前を向いて進んでいってください。応援していますね!

    返信

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