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内藤幸子さん

9月 14th, 2016|Comments are off for this post


結婚をするとしたら、彼と結婚するか誰とも結婚しないかのどちらか

濱田: マレーシアに関わるようになったきっかけを教えて下さい

内藤:大学を休学してイギリスに1年間の語学留学をしていた時に、中国系マレーシア人である現在の夫と出会ったことがきっかけです。ロンドンに1年間一緒に住み、その後は遠距離を1年続け、2004年に結婚しました。彼は私より7つ年上の会社経営者で、仕事の関係でロンドンに来ていました。当時私は23歳でしたが、こんなに早く結婚するとは思いませんでしたね。

濱田: なぜ結婚を決断されたのでしょうか?

内藤:元々結婚願望はなかったのですが、彼と出会ったことで、もし人生の中で結婚をするとしたら、彼と結婚するか誰とも結婚しないかのどちらかだと思ったからです。結婚後にお互いが共有できる世界を持つことはもちろんですが、それぞれの世界を持つことを互いに認め、尊重し合える相手だったので、結婚という選択を取れたのだと思います。自然体の私を認めて、受け入れてくれた彼には本当に感謝しています。

濱田: 海外で暮らすことに抵抗はなかったのでしょうか?

内藤:まったくありませんでした。というのも、子どもの頃から感覚的に「地球はひとつ」と思っていたんです。英語や国旗、世界地図のパズルなどが大好きでしたね。国というボーダーはないという前提で捉えていたので、なぜ人間は戦争をするのか疑問でした。それを突き詰めようと、大学では平和を軸とした様々な分野について学び、卒論は貧困国の底上げをテーマに取り上げて、アフリカのモザンビークの少年兵や難民について研究しましたね。

警察官を1年で辞め、リクルートの広告営業に

濱田: 大学卒業後のキャリアについて教えて下さい

内藤:平和を実現させるためにはどうしたら良いのだろうと考えた結果、警察官になりました。でも、わずか1年で退職。というのは、警察で働くことを決める以前から彼と結婚する話しがあったのですが、一部の警察関係者がそのことに理解を示してくれなくて。憲法上では人種平等について唱えているにも関わらず、現実には差別なども存在する。私は正義感が強いため、そのことに幻滅して退職を決意しました。でも、私の母は私が警察官になったことを誇りに思っていたので、彼女をとても悲しませてしまって。そこで私は「この先は母のために日本に住もう」と決意して転職先を探し、リクルートのホットペッパーに広告営業として入社しました。1日に何十件もの飛び込み営業をして、結果が出ずに凹む時も多かったのですが、先輩が同じ環境で結果を出しているのを目の当たりにして、「環境のせいにするのはやめよう」と思うようになった途端、実績を出せるように。この現場では多くのことを学ぶことができました。

2年ほどが経った頃、彼から「自分で貿易関連のビジネスをしたい」という話をされました。私もずっと広告営業をするつもりはなかったので、彼の夢を応援しようと思い商社に転職。小さい会社だったこともあり幅広い経験をさせてもらいました。次のステップに進むきっかけは、当時通っていたビジネス英語を学ぶ学校で起こりました。プレゼンテーションを行ったところ、とても高い評価をいただき、クラスメイトからも「あなたは説明が上手だから先生に向いているね」という言葉をもらったんです。

評価方法の仕組み上、どうしても暗記教育になりがちな義務教育にはあまり魅力を感じることができなかったのですが、先生も面白い選択肢だなと昔から思っていたので、この言葉を聞いて「日本語教師」という選択肢がふっと頭に浮かんできました。自発的に学びたい生徒を相手に授業をすることができるし、教え方の自由度も高いので自分なりにクリエイティブに教えられる。そう思って3年勤務した商社を辞め、東京の日本語教師養成学校に(夜間)通い始めました。それでも平日は比較的時間があったので、まだ経験していない業界で働いてみたいと思い、4年間、外資系の医学書の出版社の経理部でIBMのインドチームとシステム導入の仕事をしました。

自分に合う場所は自分で選び取る

濱田: 日本語教師養成学校を卒業された後はどうされたのでしょうか?

内藤:彼はその頃貿易関係の仕事をマレーシアで始めていたので、私もマレーシアに渡って日本語教師を目指しました。しかし、日本で教師としての経験がなかったため仕事が全然見つからなくて。そんな時に、日本文化を紹介しながら日本語も教えられる教師を国際交流基金が募集していることを知りました。イベントなどを通じて文化紹介をするので、その広報や営業、マネージメント、そして日本語教育に関して知識と理解がある人材を探していたらしく、まさに今までに私がしてきた経験を丸ごと活かせる仕事だと思って応募し、見事採用が決まりました。

濱田: 内藤さんの今までのキャリアがすべて繋がったのですね

内藤:文化を伝えることで国を超えた交流を持てるので、自分の仕事が平和な世の中に貢献できていることにやりがいを感じていましたね。しかし開催したイベントや日本語教室では、ローカルの生徒から日本語を話せる機会が少ないという声が上がって。そんな時に、学習の場作りに意欲的な参加者の方と一緒に、「KL Japanese English Language Exchange」という交流会を始めました。日本人とマレーシア人を対象に、お互いに語学を勉強しながら文化を伝えあう場として、月に2回ほど開催しています。最近では70名の参加者が集うほどの大盛況。ローカルとの交流を楽しみたいという日本人にも多く参加してもらっています。

そして、夫のビジネスの事情で日本に本帰国するという話があり、2016年3月に退職。しかし、その話が諸事情で延期になってしまいました。なので、引き続きマレーシアでイベントを開催しつつも、日本で人と人を繋ぐことのできる場所、コミュニティーセンター且つゲストハウスのような場所を作っていくつもりです。

濱田: 内藤さんのお話を伺うと何度も転職をされていますが、それらが全て繋がって今に至っているのだと感じました

内藤:そうですね、私の中ではきちんと1本の線になっています。日本ではキャリアに対する価値観が多様ではないので、転職は印象が良くないとか、転職と転職の間に空白期間があるとダメとか色々言われていますよね。私もそれらを信じて、不安になった時期がありました。でも、ある時ふと「それって誰の言葉?」と疑問に思ったんです。私が好きな人や本は、決してそんなことは言わない。どこからか聞いた声を無条件に疑わずに信じるのではなく、自分にとって魅力的に感じる生き方をしている人が発する声に耳を傾けた方が絶対に良い。そうやって自分に合う場所を選択していけば、きっと自分らしい人生が広がっていくと思います。