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大見由樹さん

9月 18th, 2016|Comments are off for this post


「人と同じ人生を歩むのはつまらない」と思った

濱田: 中国との出会いについて教えて下さい

大見:初めて関わりを持ったのは、18歳で上海に語学留学をした時です。とにかく中国に魅かれる自分がいて、ただ行きたかったんです。中国語は全く話せない状況だったのですが、思いがあれば通じるもの。行ける大学を調べて国際電話をかけ、片言の中国語で会話をしながら必要な書類を送ったり、手紙を日本語で書いたりしました。「やろうと思えば何でもできる」と思いましたね。入学書類が届いたらすぐ中国へ行き、親には事後報告。しかし、学校には女子生徒はほとんどおらずホームシックになり、真夏の上海から逃げるように日本へ帰国。初めての留学生活は1ヶ月で終わりましたね。そして、自分は花が好きだったことを思い出し、実家のある札幌の花屋で4年間修業しました。「中国」と「花」を組み合わせて、もう一度上海で何かできることはないかと思い立ったのは、23歳の時でした。

濱田:18歳でひとり上海に行くなんて、なかなかできないことだと思います

大見:高校生の時、同じコースの多くの子たちが専門学校に進学をしようとしていました。それを見て、「人と同じ人生を歩むのはつまらない」「もっと世界は広いはずだ。誰も知らない世界を知りたい」と強く思ったんです。また、私は双子で3歳下に妹のいる3姉妹なのですが、姉はドイツで美容師、妹はアメリカのオクラホマでバレエ団に入り、プリマドンナとして活躍しています。海外とは縁もゆかりもない家だったのですが、彼女たちの志の高さに影響を受け、「私もいつか何かやろう」という夢を持ち始めたのです。それが、私にとって中国で花屋をひらくことでした。

5年越しで、念願の花屋オープン

濱田:札幌での4年間の修業を終え、上海で念願の花屋を開業されました。その道のりを教えてください

大見:23歳でもう一度上海に行った時は、VISAを取得するために表向きは語学留学でした。本当の目的は、中国での花屋開業。現地で花屋をしている日本人の方を紹介していただき、そこでアルバイトをすることからスタート。語学学校は半年ごとの契約なのですが、お花の市場にいる方が楽しくて、半年で辞めてしまいましたね。中国での開業はかなりハードルが高かったので、自宅を開放してお花のレッスン教室を始めました。広告を出すと、企業の開店祝いや引っ越し祝いなどのギフトのオーダーも受けるように。結局、自分のお店を中国で出すまでは5年間かかりました。

濱田:日本でお店を出そうとは思わなかったのでしょうか

大見:その気持ちはありませんでした。上海の方が自由で、ビジネスをする時にも可能性を感じます。ここは海外・国内からの人の出入りが激しくて、文化が定まっていないんです。芸術分野や商業分野、おもてなしの分野や花の分野など、どれも確立していないからこそ、色んな人が新たなビジネスを持って世界中から集まってくる。日本はすでに確立していて新しいものが入る余地がほとんどありませんが、上海には変化の糸口を感じます。中国側も新しいものを歓迎していて、国としての厳しい規制もありません、個人で立ち回れるくらいには自由です。日本は市場規制が厳しく、大企業でないとできないことだらけで、不自由さを感じますね。

花の世界に取り憑かれてしまった

濱田:花屋という仕事は、華やかなイメージの反面、肉体労働も多いと聞きますが

大見:本当にその通りですね。10の仕事のうち9は、重たいものを運んだり葉っぱをむしったり、冷たい水を触ったり。でも、作品ができ上がった時の感動が大きくてやめられません。花の世界に私は取り憑かれているように感じるほど。いくらやっても決して「これで終わり」と思えず、常に勉強したい課題が見つかります。

これまで10年以上花屋に携わってきて思うことは、「人生には波がある」ということ。ある時、ここまでやってきたけれど、次の10年が見えない……という時期がありました。自分のしてきたことを人に話すと「すごいですね」と言ってもらえる。でも、自分ではそんなにできているとは思えず、そのギャップに苦しみました。周りの評価は気にせずに、自分を信じてとにかく前に進んでいきたいですね。

濱田:大見さんのエネルギーの源を教えて下さい

大見:落ち込むこともありますが、そういうときに限って、頑張っている若い人や夢を持っている人に出会うことができて、「かつては自分もこうだったな」と力をもらえるんです。彼らのように、素直な姿勢を忘れてはいけないなと思い出します。人生は、好きなことをいくつか見つけて、それらとどのように付き合っていくかがとても大事。私自身も、いつでも夢を抱いて歩んでいきたいと思います。