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中川裕聖子さん

濱田 真里
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兵庫県出身。西宮協立脳神経外科病院医事課に入職し、5年後にカナダでワーキングホリデーをする。その後北米大陸を一人旅。国内・国外でツアーコンダクターやホテルで働いた後、カンボジアで現地ガイドとして活躍する。現在はvery berryのデザイナーをしながらsouvenir shop SARAショップマネージャーをする。

「ないなら、自分で作ればいい!」

濱田:カンボジアのお土産屋さんで働く傍ら、ご自身で雑貨のブランドを立ち上げ、デザイナーとして精力的に活動されている中川さんですが、今のお仕事を始められたきっかけを教えてください。

中川:そもそもは、カンボジア産のお土産が少ないことに疑問を持ったのがきっかけでした。今の仕事を始める前は旅行会社で働いていたんです。その時「お勧めのカンボジア土産は何ですか?」と、観光客に聞かれたことがあったんですが、すぐに思い浮かばなくて。周りを見渡しても、タイや中国で作られた物ばかり。「何でないんだろ…」と思っていたのですが、ある時「だったら、自分で作ったらいい!」と気づいて。それでブランドを立ち上げたんです。

濱田:お一人で立ち上げられたんですよね?不安はなかったんですか?

中川:全然なかったですね。当時は特に観光が盛り上がり始めた時期だったのもあって、「カンボジアの時代が来る!!」という自信があったから。

濱田:それにしても海外で、しかも一人で起業されるなんて、私には想像がつきません。

中川:今はまだ自分のブランドだけで生活しているわけではないんですよ。旅行会社を辞め、はじめた当初はバイクにまたがって周辺の村を回りながら、どんな物が作られているのか、どんな素材があるのか調査していたんです。そうしているうちにある方から、「働いてないなら、お土産物屋で働かないか」と声を掛けていただいて。だから今は、お土産物屋さんのマネージャーとして給料をもらいながら、自分のプロジェクトも進めているという感じ。二束の草鞋ですね。

濱田:デザイナーというと特殊な仕事というイメージが強いのですが、中川さんはデザインの経験もお持ちだったんですか?

中川:いえ、全くの素人なんですよ。今でも自分のことを「デザイナー」と名乗るのはすごくこそばいというか。本当は「アイディアマン」の方がしっくりくるんですけど、そっちの方が対外的に都合が良いから使っているだけ(笑)。

濱田:そうだったんですか?!どれも素敵なデザインで素人だなんて思えません!

中川:ありがとうございます。それは、カンボジアのベテランの職人さん達と一緒に作り上げているからかもしれません。私が考えたデザインを職人さんに渡して、一緒に形にしていくんです。出来上がったものの6割くらいは自分の想像と違って「あちゃー」と言いたくなるような物が出来上がるんですが、4割くらいは私の作ったデザインに職人さんのアレンジが加わって、良い物が出来る。そのコラボレーションがとても面白くて楽しいんです。

「きっかけなんて、本当に単純(笑)。」

濱田:中川さんとカンボジアの出会いを教えてください。

中川:バックパッカーで旅行に来たのがきっかけでした。その時は他の国も色々周ったけど、カンボジアは入った瞬間、なんだか空気が違う気がしたんですね。なんていうか、すごく居心地が良くて、肌にスーッとなじむ感じ。「こんなにところで、仕事をしてらおもしろいだろうなぁ」と思って。それでとりあえず来ちゃった(笑)。

濱田:こちらでの就職先はどうされたんですか?!

中川:特に決まっていませんでした。でも私の場合、日本でも旅行会社で働いていたので、探せばすぐ見つけられるだろうと(笑)。結局一ヵ月くらいで仕事は見つかりました。こちらでの生活は毎日大変なことばかりだし、とまどうこともたくさん。けれどそれが逆に楽しくて、毎日喜怒哀楽ですよ。本当に来て良かったなぁ、と思っています。皆さんも、何かやってみたいことがあったら、何でもやってみると良いと思いますよ。

濱田:それでも、海外に旅行で行くのとそこで生活をするのでは、大分違うと思うのですが…

中川:そういう意味では、ワーホリでカナダに行った経験は大きかったかも。だから海外で暮らすことにあまり抵抗が無かったのかもしれません。

濱田:カナダにも住んでいらしゃったんですか!きっかけは何だったんですか?

中川:きっかけなんて、本当に単純。当時付き合っていた彼がワーキングホリデー帰りで、その彼に影響を受けたから(笑)。

濱田:ちなみにその頃の英語力はどの程度だったんでしょうか?

中川:全く出来ませんでした。最初に入った語学学校でも一番下のクラス(笑)。それでも30社くらい履歴書を送って、なんとか仕事を得ました。気合と情熱です。英語がしゃべれなくてもなんとかなります。遠慮せずにいろいろ飛び込んでいくことですね。向こうでは働きながら、休みの日には職場の人とトレッキングやカヤッキングやスノーボードをしたり。あっという間でした。日本へ帰る頃には英語も上達していました (笑)。

「一日一日、生きている実感が得られる」

濱田:実際にカンボジアで働いてみて、どんな印象を持たれましたか?

中川:日本よりしがらみが少ない分、自分の好きなことが出来るし、起業しやすい環境だと思います。ただ、思い通りにいかないことは本当に多い。仕事で「この通りに作って」と頼んでも、出来上がりが全く違うことなんてしょっちゅう。「何でこうなった?!」と言いたくなることばかりですよ(笑)。

濱田:一人で仕事をしている上に、そんなことばかりだと大変ですね。私だったら心が折れているかも…。
中川:そんなことないですよ!カンボジアで6年もいたら、それくらいのことで心は折れなくなりますから(笑)。

濱田:さすが、6年もいらっしゃると違いますね!

中川:皆さんそうだと思いますよ。カルチャーギャップは誰にでもあるもの。みんなそれにぶつかりながら、現地のレベルに合わせていく感じ。大変だけど、結局それが楽しみでもあるんですよね。

濱田:なるほど!だから海外で働く方たちは大変そうだけど、皆さん活き活きされていらっしゃるのかもしれませんね。

中川:そうですね。物はない、水道も電気も止まってしまうここでの生活は大変だけど、日本よりも一日一日生きている実感が得られるような気がします。日本から見たら、カンボジアでの貧しい生活は幸せに映らないかもしれない。だけど、そうじゃないんですね。車がなければ歩けば良いし、テレビがなければおしゃべりをすれば良い。不便な生活の中にも人との触れ合いや感謝の気持ちが沢山あって、それが心の温かさを膨らませてくれるんです。
物質的に満たされた日本にいても「満たされない」と感じている人はいると思うんです。そういう人たちは思い切って一歩踏み出してみると、新しい世界が開けるかもしれませんよ。

濱田:今回お話を伺って、海外で働く方たちが活き活きされている理由が分かったような気がします。最後に中川さんの今後のビジョンを教えてください。

中川:まずは良い物を作って、カンボジア雑貨の良さをもっと沢山の人に知ってもらうことですね。私「貧困」をビジネスツールにしたくないんです。「カンボジア=貧困」「困っている人たちを助けよう」というイメージで商品を販売するのではなく、どこに出しても通用する良いものを作りたい。ゆくゆくは自分の工房とお店を持ちたいと考えています。そして、自分のブランドで食べていけるようになりたいです。



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