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加藤優子さん

濱田 真里
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今回のインタビュイーは、ゆったりとした口調で話されるマレーシア滞在8年目になる加藤優子さん。マレーシアの現地の人を対象に、旦那さんと一緒に夫婦でカフェを経営している。マレーシアに来る前は、実は名古屋でモデルをやられていたほどの美貌の持ち主。そんな優子さんの、紆余曲折を経て異国の地でカフェを開くまでの経緯や、海外で暮らす心構えを伺った。

「私たち日本人に何が出来るだろう?」

濱田:優子さんがマレーシアに来ることになったのは、ご主人のお仕事がきっかけですか?

加藤:いや私たちは仕事できたわけじゃなくて、いきなり住んじゃったの、こっちに。

濱田:え、どういうことですか?

加藤:会社で来たんじゃなくって、住んじゃった(笑)。そういう感じで来ちゃったから、会社で働いていない私たちはもちろんビザも取れなくて。でも3か月ならビザなしで滞在できるから、シンガポールや日本へ出て行っては、またマレーシアに戻るっていう生活をしばらく繰り返してました。

濱田:それからどういうきっかけでお店をやるようになったんですか?

ご主人:お店をやるきっかけは、食うに困ってさ。じゃあどうやってここで暮らしていこうってなった時に「私たち日本人に何が出来るだろう?」と考えた。マレーシアには「ママック」という外にある喫茶店みたいなのがいっぱいあるんだけど、じゃあ私たちは日本人だから、日本をマレーシアの人たちに身近に感じてもらえるようなお店をやってみたらいいじゃないかと思ったのがはじまり。結構マレーシアの人たちと喋る機会があったんだけど、みんな日本に対して興味を持っててね。だからお客さんもマレーシアの人を対象にしていて、8割がマレーシア人。このあたりは日本人があまりいないエリアだしね。

加藤:お店の経営は2人でやっていて、私はパンとケーキ、主人はご飯を担当しています。ここで味噌カツや手羽先も出してるのよ。

濱田:あ、名古屋ご出身だからですね!すごい、マレーシアで食べれるなんて(笑)。

「海外旅行に行くノリで来た(笑)」

濱田:もともと優子さんは「海外に行きたい!働きたい!」っていう気持ちがあったんですか?

加藤:パパの仕事がファミリービジネスだったのね。サラリーマンじゃないから転勤もないし、そういうことは全く考えていなかった。でもマレーシアには何度も旅行で来ていてたから、「マレーシアに住もうか」って言われた時は、あっさり「うん」って答えました。どちらかというと、海外旅行に行くノリできたの(笑)。

濱田:えー!すごいですね!そこに不安とかはなかったんですか?

加藤:なんとなく、「いいかなぁ、そういう道も」って思ったのよね。あまり深く考えていなかったの(笑)。今までずっと上手くいっていたから、マレーシアでもなんとか暮らしていけるだろうって思ってた。最初は何もかも新鮮で楽しかったんだけど、やっぱり日本とは違うから、簡単には暮らしていけないことがだんだんわかってきて。「しまった、ついて来るんじゃなかった・・・」って思ったこともありました(笑)。きっと私は人生をちょっと甘く見てたのね。それでもずっと何とかやっていけるはずだと信じていたの。

濱田:生活が苦しくても、旦那さんから離れることは考えたことはなかったんですか?

加藤:いっぱいありました。でも、結婚した時から、この人生ではこの人と一緒に生きていこうと決めていましたから。

「日本の常識は世界の常識じゃない」


濱田:こっちに来てからどういった点で苦労しましたか?

加藤:仕事がないからお金がないこと。その時に初めてお金がないってこんなに辛いことなんだって思いましたね。当たり前だけどお金がないから何もできないし、何も買えない。最初の頃は貯金を切り崩して生活していたんだけど、やっぱり経済的に不安定で。マレーシアでどうやって食べていくかっていう大きな問題にぶつかりました。本当に毎日がサバイバルで、現地の人にまじって屋台でコロッケを売ったりしていました。貯金もだんだんなくなってきて、コロッケをにぎりながら「なんで私がこんなことしなきゃいけないんだろう」って思ったり。どん底でした。でもこの不安定な日々で、人間って一度どん底まで落ちるとあとは這い上がるしかないということがわかったかな。まあ私たちは普通の人と違い、会社に雇われていないから今でもサバイバル状態が続いているんだけど(笑)。

濱田:そうやって苦しくなったときに、マレーシアでの生活を諦めて日本に帰ろうとは思わなかったんですか?

加藤:あのね、日本に帰ろうと思ったこともいっぱいいっぱいあるんだけど、住んじゃうとこっちの方が好きになっちゃったの。日本だとなんとなく窮屈で苦しいけど、マレーシアは楽なんですよね。のんびりしてて生きやすい、というか。子供を育てるにも余裕がある感じ。例えば日本で主婦になると、色々付き合いがあるじゃない?親戚とかママ友とかね。日本ではこうしなきゃいけないとか、こうするのが常識だとか・・・。でも、日本の常識は世界の常識じゃないと思うの。こっちには付き合い方のマニュアルみたいなものがないし、本当に楽なんです。

濱田:優子さんにはマレーシアの常識が合っていたっていうことなんですね。

加藤:うん、常識というより、しばりが緩やかなのが合っているという感じ。こっちでは本当にいろんな人種がいて、人がいて、そして出会いがあって、すごく楽しい。仕事は朝から夜まで一日立ち仕事で大変なんだけど、そういう出会いがあるから続けることができると思えますね。

「世界は広いし、ウジウジしていれられないね」

濱田:優子さんの生きていく上で大事にしているこだわりってありますか?

加藤:楽しく生きること。人生って1回だけじゃない。うじうじ悩むなんてもったいない。広い世界を楽しまなきゃ!

濱田:そう思われるようになったきっかけとかってあるんですか?

加藤:あのね、私27歳くらいの時にロサンゼルスに行ったことがあったんだけど、パパと知り合う前で彼氏はいないし、親からも早く結婚しろって言われるし、これからどうしようかなってウジウジしていたの。やっぱり27、28歳っていうのは女にとって1つの大事な時期だから。でも飛行機から降りた時に、もうその広さに圧倒されて、私こんな小さいことでウジウジしてる場合じゃない!って思ったんです。もっとこう、大きく生きないと、って。

「人間、やればできる」

濱田:マレーシアに来て加藤さん自身の中で何か変わったことはありますか?

加藤:私は今までの人生で、ずっと苦労したことがなくて。今まで私は私、人は人、だから他人は関係ないっていう考えがあったんですよね。短大卒業してそのままモデルになったから、世間知らずだった。でもマレーシアに来て、人生で初めて苦労して、人の気持ちがわかるようになったかな。お店のオーナーとしての責任感が生まれたし、強くなったと思います。最初は、スタッフを入れても逃げちゃう子もいるもんだから、えっ?ってびっくりしたり落ち込んだりしていたんだけど。でもそんなこといちいち気にしていたら大変じゃないですか。だからあまり気にしなくなって、だんだん強くなっていったように思います。

濱田:そうだったんですね!でもそんな加藤さんがいきなりマレーシアにきて、今こうやってお店をやっているって本当にすごいことですよね。

加藤:人間ね、やればできる。私たちレストランなんて経営したことないんだけど、食べるのは好きだから(笑)。だからこういうことが出来たのかもしれない。やればできるって思うようになったのは、やっぱり娘がいたからかな。守る人が出来たから、こうやって苦労しながらも今までマレーシアでやってこれたんだと思う。もし娘がいなかったらやれていなかったかもしれません。

濱田:娘さんにはどんな大人になってほしいですか?

加藤:日本人なんだけど、アジア人として生きていってほしいかな。日本人でもありアジア人でもある、というか。日本の文化も知って欲しいから、高校からは日本に通わせて日本の文化を学ばせたいと思っています。でもねぇ、日本って日本だけな気がするんですよね。香港とか、韓国は「アジア」って感じなんだけど。世界は広いから、私も日本人だけど、アジア人として生きたいです。

「人生は一回きり」


濱田:最後に日本の若者にメッセージをお願いします。

加藤:人生って一回きりだから、楽しく生きることが大切。考えることも必要だけど、なるようにしかならないんじゃないかな。
常識に縛られるだけが人生じゃないし、自分の正しいと思う道を行けばいいと思う。間違いに気づいたら、勇気を出して戻ればいいんだし。
私は本当は山あり谷ありの人生が好きじゃないけど・・・。
こういう人生も色々あって楽しいし、面白いですよ。


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