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佐藤ひろこさん

濱田 真里
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小学校5年生で、「外の世界に出る」ことを決意

濱田:海外に住まれて12年目とのことですが、いつから海外に行きたいと考えられていたのですか?

佐藤:海外という意識はありませんでしたが、小学校5年生の時から「外の世界に出よう」と決めていました。私は小学校1年生の時から登校拒否をするほど、学校に対して生きづらさを感じていました。勉強もできて学校に行けば友達もいたので、大人から見たら学校生活を楽しんでいるようにしか見えなかったかもしれません。でも、自分の中には疎外感や疑問が常にあり、辛くてたまらなかった。そこでパッと閃いたのが、5年生の時だったんです。具体的な場所までは考えていませんでしたが、とにかく「ここじゃないどこか」へ行くだろうと思った。そして、同時に「私はまだ10歳だから、あと何年この場所にいなくちゃいけないんだろう……」と悶々しましたね。社長になりたいという考えはありませんでしたが、私のようなタイプがどこかに所属するのは難しいから、自分で何かやらないといけないだろうという確信も同時に生まれました。すでにこの頃から、いつか外で自分らしく生きるために、独立する知識や経験を早く積もうと考えていましたね。

濱田:幼少期から、外の世界への関心が強かったのですね。でも、大学卒業後は日本で就職されていますよね?

佐藤:はい。日系の人材会社に就職しました。きっかけは、大学生活を通じて30カ国を周ったこと。また1年間休学してマルタ島への留学です。旅や留学自体はとても楽しかったのですが、自分自身の経験や知識が浅いため、色んなものを見ても自分の中での深堀に限界を感じるように。この先に進むためには、自分が好きなことばかりではなく苦手なことにも挑戦して、自分の幅を広げる必要があると思った。だから、あえて苦手だと思った日本の会社に就職したのです。そして、超ベンチャー企業だったこともあって、がむしゃらに働きましたが、精神的に仕事を続けられない状態になり、2年で退職を決意。「ここまで頑張ったのだから、もう好きなことをしよう」と、当時興味を持っていた癒しに関するビジネスを探し、スパのマネージャーとしてセブで働き始めました。

この時期から、自分が心と体を壊したこともあってアーユルヴェーダやハーブなどの勉強をしていたのですが、ここで学んだ考え方は、今でも私の生き方のベースになっています。アーユルヴェーダとは、「心や体、行動や環境も含めた全体としての調和が、健康にとって重要である」という考え方。さまざまなことが起こる人生の中で、心のバランスを保つことは非常に重要です。調子が悪くなった時でも、自分がどういう状態で何を必要としているのかがわかれば、対処することが可能ですよね。悪くなった時だけではなく、常日頃の習慣として、自分の中でバランスが取れているかを意識できるようになり、とても生きやすくなりました。

決断して実行する、そして次の一歩を出し続ける

濱田:数ある国の中からフィリピンのセブ島を選ばれた理由を教えて下さい。

佐藤:さまざまな理由があるのですが、大きな理由のひとつは、世界中を旅している時に、「私は島が好き」ということを自覚したから。イメージで言うと、大陸のように大きな場所だと、さまざまなものが入り乱れているので、自分がやったことがすぐにかき消されてしまうんです。でも、島だと自分が波紋を落としたものの広がりを見ることができる。自分がやったことを、目に見える形で残すことができる場所が良かった。セブって、主要な街中は車で1時間もあれば足りる程の場所に、200万人くらいが住んでいます。だから、セブに来た時、大きすぎずしかも田舎でもないここのサイズは私にピッタリだと思ったんです。

濱田:セブ島でスパのマネージャーをされながら、どのような流れで独立を決意されたのでしょうか?

佐藤:スパの経営者からは、契約期間の2年間が終わった後に、引き続きここで働いて欲しいと言われていました。ただ、私は必ず28歳で独立すると決めていたので、そのまま少しして3年目で辞めました。独立できた理由は3つあります。ひとつが、コストパフォーマンスや色んな要素を考えて、セブでなら私でもできるかもしれないと思えたこと。ふたつ目が、失敗してもまた働けばいいと腹を括れたこと。そして3つ目が、独立は準備ができた時ではなく、決断した時にするものだと考えていたからです。準備なんて、いつまで経ってもできるものではありません。不安はいつだってついてきます。だったら、自分で日付を決めて、それを実行しよう。そう考えて一歩踏み出しました。

それからは、「決断して実行する、そして次の一歩を出し続ける」というサイクルを継続するだけ。人は、最初はできないと思っていたことでも、やっていくうちに慣れてきます。今ではこのサイクルをスムーズに回せるようになりましたね。人には所詮自分サイズの問題やチャレンジしかやってきません。大変に思える事でも、それは向き合えばちゃんと超えて行けるんですよね。それが自分の中で「普通」になると、また一サイズ違うチャレンジがやってくる。そしてまた次の一歩を踏み出す。そうして世界観の広がりや経験値を重ねることができるんだと思います。

濱田:セブに暮らすようになってから、ご自身の中で一番変わったことはなんでしょうか。

佐藤:自分が女性であることを楽しめるようになったことです。私は若い頃から自分が女性であることをそこまで意識してきませんでした。化粧もあまりせず、女性扱いされると「大丈夫です!」と強がってしまうこともしばしば。でも、セブではどんな女性でも爪や髪を綺麗にしたり、男性に優しくされたら笑顔でその行為に対して感謝したりと、みんな自分が女性であることを思い切り楽しんでいました。その姿勢に対して私は強いカルチャーショックを受けたのです。フィリピンは世界で最も女性管理職が多く、ほとんどの女性が出産後も働き続けます。セブに来る前は、子育てと仕事の両立するためには、男勝りに働き家事も完璧にこなせるようにならなくちゃいけないと思っていました。正直、私には難しいし、憧れよりも「大変そう」というイメージのほうが強くて。

でも、フィリピン人女性たちは日本でイメージしていたようなキャリアウーマンではないにも関わらず、子どもをたくさん産み、出産1ヶ月後には復帰してまた楽しそうに働いている。家庭と仕事を両立することに対して、私が予想していた我慢や努力はなく、軽やかに生きる彼女たちを見て「こんな世界があるなんて!」と人生観が変わりました。ひとりで頑張るのではなく、お手伝いさんやベビーシッターさんの存在、ワークシェアという考え方も私には合っているように思えました。そういった新たな女性の生き方を知ってからは肩の荷が下りて、私も彼女たちのように自然に私らしく女性として生きようと、自分のことを認められるようになりましたね。

年齢を重ねることで、もっと人生が楽しくなる

濱田:さまざまな選択肢が増えた現代では「どうしたら自分らしく生きられるのだろう」と悩む女性も多いと思うのですが、佐藤さんは自分らしく生きるために何が大事だと思われますか?

佐藤:人と比べなくていいもの、ありのままでいいと思えるものを自分の中でしっかり養っていくことが大事。それが年齢を重ねる毎に積み重なることによって、どんどん気持ちが自由になるし、人生が楽しくなります。よく若い方がよいという人がいますが、私は逆で、10代後半頃から30代半ばになることに憧れていました。そのくらいの女性がすごく輝いているように見えていたんです。20代だと、仕事をしていても「若い子が頑張っているのね」くらいにしか見られないこともあります。だからこそ挑戦や失敗もできるのですが、私はとにかく早く30代になって、ひとりの人間として自立したかった。そして、実際に30代になったら思っていた通りで、今が一番楽しい! 20代の時から積み上げてきた仕事が着実に実ってきて、なりたい自分像に進んできている実感があります。そして、若さを言いわけにできない自己責任の世界になってくるので、何をしても自分で責任を取ればいい。それがすごくシンプルで心地良いですね。

濱田:30代になった時の自分を楽しめるかどうかは、20代での積み上げも重要なのですね。

佐藤:そうですね。仕事だけではなく、女性として今までやってきたことが内面から外に出るのも30代くらいからではないでしょうか。20代は何もしなくても肌やプロポーションを維持できますが、30代になるとごまかしが効かなくなってくる。内面も外見も、今までに自分が培ってきたものや美意識が顕著に反映されてきます。「自分はこうありたい」という意識を常に持ち続けることが大事です。特に、女性は結婚や子育てという外的要素によって、自分中心から周り中心の生活に変わりがち。だからこそ、独身の間に自分の生き方に対するブレない軸を作っておくと、後々とても生きやすくなります。ただ、そこには変化に対応できる柔軟性も含めておくこと。人間としての女性の柔らかさや気遣い、しなやかさを楽しみながら、それを仕事や普段の生活の中で活かせると、周りの人も自分も今よりもさらに気持ちよく過ごすことができるんじゃないかなと思います。


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