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岩瀬香奈子さん

濱田 真里
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1975年生まれ。現在株式会社アルーシャ代表取締役。4社での勤務、イギリス留学を経て、2009年 『株式会社アルーシャ』を設立。日本に暮らす難民の雇用支援を目的としてネイルサロン事業を始め、ミャンマー人の難民スタッフと共に現在活動中。ネイルサロン事業以外にも語学事業など、今後より一層の展開を目指している。

「あぁ私、やっぱりこういう仕事がしたかったんだ」

岩瀬:新卒で大手人材派遣会社に入ったんですけど、当時は起業を目指していますみたいな人ばかり働いていて、ベンチャーの雰囲気が強く、勢いもありました。それが私はすごく楽しかったんですね。でも1年ちょっと経って、仕事も覚えて自分の生活が落ち着いてきた頃に、「このまま朝8時から11時まで働く生活を続けたら、体力消耗して死んじゃうかもしれない…。」と思うようになりました。そこで勉強会に出てみたり社外の友人と会ったりしていくうちに、「このままじゃだめだ。」という思いが段々と強くなってきて。そんな時に後輩が偶然飛び込み営業で外資系の金融システムを作っているソフトウエアの会社の受注を取ってきたんですね。これからは英語、金融、ITっていうのがキーワードだと思っていたので、パンフレットを見た瞬間に「私が求めていたのはこの会社だ!」って思って、その会社の社長に「今日はありがとうございました。ところで私を入れてもらえませんか。」ってメールをしたら、「こんなメールは初めてもらいました。ぜひ一度遊びに来て下さい。」って言われて、面接を何回か受けた末にその会社へ転職することになったんです。

濱田:そうだったんですね!そうやって転職されてみて、そこでの仕事はどうだったんでしょうか?

岩瀬:それが実は、この会社の本社がニューヨークのワールドトレードセンターに入っていたので、9.11のテロで本社が壊滅して、結局私の入った会社はインドの会社に買収されたんですよ。しかもテロの後は金融システム新規購入案件は止まってしまうから、毎日本当に暇だったんです。でも20代の人にとって毎日暇ってきついじゃないですか。転職して1年と2カ月ベンチャー企業立ち上げに参画した後、イギリスに留学しました。その後はアメリカの人材会社で働いていたんですが、マイクロファイナンスで女性の貧困支援プロジェクトを立ち上げようとしていた岩男壽美子先生を紹介して頂く機会があって。そういう活動に興味があったのでお手伝いをさせて頂くことになったんです。活動をしていくうちに、「あぁ私、やっぱりこういう仕事をしたかったんだなぁ。」と熱い思いが沸々と沸いてきました。岩男先生に「今度タンザニアに行きませんか?」なんて誘われたりしたんですけど、サラリーマンが12月に2週間も休めるわけもなく。でもそういう時に現地に行けない自分が嫌で、色々考えているうちに会社というかサラリーマンを辞めようかなぁと思うようになりました。

「元々ネイルの知識もないし、難民の方に会ったこともなかった」

濱田:そんな岩瀬さんがなぜ起業しようと思ったんですか?

岩瀬:別に会社を作りたかったわけではなくて、岩男先生が任意団体としてフェアトレードやマイクロファイナンスの活動をやりたいということだったので、やっぱり物を販売するなら会社がいいんじゃないかと。それで私が会社を作ることにしたんです。はじめはネイルサロンをするなんて考えてもいなくて、フェアトレードや勉強会をやって、ファンドレイジングしたり物を売れたら良いですよねっていう程度で考えていました。

濱田:では、今のアルーシャの事業の一つである難民の方達によるネイルサロンはどのようにしてはじまったんですか?

岩瀬:実は、軽い思い付きからはじまったんです。元々私はネイルをやっている訳でもなかったし、難民の方に会った事もありませんでした。でも、会社を作って活動していく中で、知人に60代くらいの難民支援をやっている女性を紹介して頂いたんですね。その方はビーズアクセサリー作りが趣味だったので、これなら自分にも教えられるという事で難民の方達に作り方を教える活動をしていたんですけど、結構ビーズアクセサリーって良い値段がするので売るのが大変で。しかも、彼女はフリーマーケットとかで売っていたんです。初めてお会いしたときはちょうどその帰りだったんですけど、やはり売り切れなかった在庫をお持ちでいらっしゃいました。でも、それだけやっても難民が生計を立てられる金額には届かない。他の手段はないかと考えて、じゃあネイルだったらどうかな?と思いついたんですね。ネイルだったらリピートされるし、日本で流行っているからいいんじゃないかって話が盛り上がって、本当に流れでやることになっちゃったんですよ。そこからは、もうあっという間でしたね。翌々日にはもう難民支援の取り組みをされている方から「ネイルサロンの詳細を聞かせて下さい」って言うメールが来て、最終的に難民支援の各団体代表15人くらいの前でプレゼンをして、どんどん実現に向けて動いていきました。

「知らないということは、見殺しにしているということなのかもしれない」

濱田:正直、岩瀬さんの活動を知るまでは難民の方が日本にたくさんいるということを知りませんでした。

岩瀬:そうですね、私も昔は知りませんでした。でも知らないっていうのは、それはつまり見殺しにしているということなのかもしれません。私、外の人が見られない中で起こっていることは、本当に残酷なことが起きているんじゃないかという思いがあるんですよね。いじめでも何でも、皆が知っていれば、誰かが止めるかもしれないし、障害者の支援とか、皆がなんとなく認識しているというものは結構改善に向かったり、誰か助ける人が出てきたりするんですよね。でも私は難民問題について知らなかったし、周りでもそういう事を知っている人がいなかった。これだけ多くの人が知らない問題っていうのは相当大変なんじゃないかな、と直感的に感じて、「とりあえずやってみましょう」って言うことになったんです。

濱田:なるほど、それで実際にネイルサロンをはじめられたんですね。

岩瀬:ネイルサロンをやるならまず自分がネイルについて知らないと、と思ってまずは2ヶ月ネイルスクールに通いました。2010年の2月半ばから難民向けのネイリストの研修やりますって告知したら、難民支援の色々な団体が協力してくれたんですね。そこで一人のカメルーンの女の子から電話をもらって、詳細を聞きたいということだったので会う約束をしたんですが、実際に待ち合わせ場所に行ったら20人以上の人たちが私を待っていて。もう、びっくりですよ。定員8人で募集していたので参ったな…と思ったんですけど、結局プロになったのは4人でしたね。

濱田:文化の違う方たちに、日本の仕事のやり方や技術を教えるというのは、すごく大変そうなイメージがあるのですが、実際にどうだったのでしょうか?

岩瀬:そうですね、色々ありました。例えば日本のネイルサロンで、ネイルがはみ出すなんてことはまずあり得ないじゃないですか。だからそんなことしたらお金はもらえないんだよって説明しても、なかなかわかってもらえなくて。面白かったですけど、先は遠そうだなぁと思いました(笑)。最初はとある家具屋さんの小さいスペースを貸して頂いてやっていたんですけど、今はお部屋を借りてやっています。六本木の隣駅の神谷町にあるので、ぜひ皆さん気軽に遊びに来て下さいね。きっと面白い話が聞けると思いますよ。


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