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ヒキタミワさん

濱田 真里
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1993年より上海在住。90年代後半より雑誌、広告などのメイクアップアーティストとして活躍後、現在はビューティーに関するコンサルタントや執筆などをする美容家として活動中。2013年9月よりメイクアップスクール「La Carina Makeup Class」を開講。日本向けでは、オールアバウトの上海ガイドを担当、毎月フレッシュな上海情報を発信している。

こんなに苦労したのに、中国のことをほとんど知らずに帰るなんてもったいない

濱田:なぜ中国に行こうと思ったのですか?

ヒキタ:学生時代からずっとアメリカが好きだったから、いつか米国留学しようと思っていたんです。でもある人に「英語を話せる人はいくらでもいるけど、これからは中国の時代だ」って言われて、「確かにそうかもしれない。じゃあ英語じゃなくて中国語をやってみよう」と思ったのがきっかけです。また、たまたま近所に中国人の友達がいたので留学を考えていることを相談したら、その子の両親が中国から色々と資料を送ってくれたり、中国に着いた時は空港まで迎えにきてくれたりして、ご縁にも恵まれました。

濱田:短大卒業後、すぐ中国に行かれたのですか?

ヒキタ:いいえ。一度日本の会社に就職しました。私の就職活動はバブル最後の年で、周りの友人がどんどん大企業に入っていったんですけど、私は就職するっていうことがよく理解出来なかったんです。だから、クラスでたったひとりだけ就職活動をしていませんでした。結局卒業後は静岡の実家に戻ることになって、でも何もしないわけにはいかないじゃないですか。働かなくちゃって思って3月末に駆け込みで就活したら、すぐに地元の塾講師になることが決まりました。今思うと本当に時代のおかげですね。でもしたい仕事だったわけではないので、結局1年で辞めて、その後中国に留学することを決意しました。

濱田:留学をされた1993年当時は、今と随分環境が違ったと思うんですけど、帰りたいとは思わなかったんですか?

ヒキタ:右も左もわからずに中国に来て、大変でしたよ。私は中国語も全く話せなかったし、その頃の中国は、国民が人民服を脱ぎだしたくらいの時期で今のように経済発達もしていませんでした。でも、留学の手続きをしてきてしまったので、帰るに帰れなかったんです。周りを見ると、他の日本人は団体や学校のグループで来ていて、個人で来ているのは私くらい。今思い返すと、「よくやれたな」って思いますね(笑)。本当は1年間の予定で来ていたんですけど、終わりが近づいた頃には「たった1年じゃ言葉も大して話せないし、こんなに苦労してきたのに、中国のことをほとんど知らずに帰るなんてもったいない!」って思って、滞在を延長することを決めました。大学には結局1年半いたんですけど、ご縁があって、中国でスタイリストとメイクの仕事を始めるようになったんです。

天職はひとつのように言われがちだけど、そんなことはないと思う

濱田:どのようなきっかけで中国での仕事を始められたんですか?

ヒキタ:当時日本人が総編集をしている「HOW」という雑誌が上海で発売されたのですが、そこで読者モデルの応募があったのでオーディションに行ってみました。でも、日本人でモデルになろうとして来る人なんていなかったので、日本人というだけですぐに採用されました。その上、中国語が話せたのでモデルとしてだけでなく、通訳も担当するようになりました。そのうち雑誌スタッフから「あなたもスタイリストやってみたらできるんじゃない」って言われて、見よう見まねでやり始めたのがスタイリストの仕事のきっかけです。中国人だとメイクもコテコテなので、私がやるようになって、これも仕事になっていきました。

濱田:現在、雑誌のコーディネーターもされていらっしゃいますよね?その他にも雑貨店の経営など、様々なお仕事をされているとか。

ヒキタ:スタイリストやメイクのお仕事もしながら、たまたま日本人が取材をする時に中国でコーディネート出来る人がいないとのことだったので、やり始めました。コーディネーターって裏方の裏の裏のような立場だから、プレッシャーもあるし地味な作業が多いけど、自分の上海について持っている知識を発揮できるのでやりがいがありますね。確かに色々な仕事をしているんですけど、上海にいるうちに色んなことが繋がって、今の仕事に至っているんです。だからひとつも無駄なことはないですね。どれもすごく楽しんでやらせて頂いています。天職ってひとつのように言われがちですけど、そんなことはないんじゃないかな。私はこうして色々やっていることでバランスを取って働けていると思っています。

日本にずっといると見えないものが、外に出ると見えるかもしれない

濱田:様々なお仕事をされながら子育てもされているとのことですが、中国での子育てはいかがでしょうか?

ヒキタ:ベビーシッターやお手伝いさんがいたりするから、家事や子育てに対するプッレッシャーは少ないですね。日本にいたら後ろめたさを持ってしまいそうだけど、それもないですし。友達もやっぱりシッターさんや、両親の協力がないと子育てと仕事の両立は難しいって言いますね。私たちの時代は子どもが出来たら仕事は出来ない、という感覚でしたけど、現代の20代の女性は子供が出来たら産んで、それで復帰して働いている人もいて羨ましいです。時代が違ったら私も20歳くらいで産んでいるのになぁって思いますね。

濱田:これからも上海に住まれるんですか?

ヒキタ:そうですね。でも、今は2、3カ月に1回は日本に帰っています。上海にいると普通じゃない疲れ方をするからガス抜きしないといけないんです。この街は自分が元気なときはとことん元気になれる、でも元気がないときはとことん吸い取られるから、吸い取られた時はどこか他の場所に行って、エネルギーを吸収してここに戻ってくる。そうまでして何で上海にいるんだって感じですけど(笑)、でも上海の刺激が恋しくなって戻ってくる。それを繰り返しながら、もう今年で上海在住19年目になりますね。

濱田:若者に対してのメッセージを下さい。

ヒキタ:日本にずっといると見えないものってあると思う。毎日の生活が当たり前すぎて、なんだか物足りない。そんな時に海外に出ると色んな発見があるかもしれません。私は留学をした時、何でもある日本の環境から何もない中国に来ちゃったから、ビックリすることがたくさんありました。でも、その中に自分の求めていたものが見つかるかもしれないから、海外に住めとは言わないけど、時には足を運んでみて、違う空気を吸ってみるのもいいと思います。私は上海に長く住んでいるんですけど、いい面も悪い面もたくさんあるこの街にエネルギーをもらっています。ぜひ多くの人にも、上海に足を運んでみて欲しいです。


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