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安永みずきさん

濱田 真里
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子供の時から憧れていたマレーシアで働くことを高校1年の時に決意。東京外国語大マレーシア科を卒業後、時事通信社クアラルンプール支局に現地採用される。7年間勤務した後、主人の帰任で一度帰国するも1年弱で再度赴任に。その後語学学校でマレーシア語を教えるが出産を機に退職。2013年2月にドイツのミュンヘンに異動し、現在は二人目出産に向け準備中。

マレーシアには子どもを社会で育てる雰囲気がある

濱田:現在、マレーシアで子育てをされている安永さんですが、こちらへ来たきっかけは何だったんですか?

安永:高校生の時からマレーシアが大好きで、大学でマレー語を専攻した後に新卒で時事通信社のマレーシア支局に現地採用で就職したことがきっかけです。他の会社で赴任していた夫と出会い結婚、その後主人の帰任に伴い会社を辞めました。一旦日本へ帰国した後、夫が再びマレーシア駐在になったのでこちらへ戻ってきて3年目です。

濱田:なぜマレーシアを好きになったのでしょうか?

安永:最初は父親の影響です。森林研究所に勤めていた父が昔から「マレーシアはいいところだぞ」と言っていました。高校1年生のときに初めてマレーシアへ来て、東南アジアで登頂可能最高峰のキナバル山に登っている時に、山頂付近で高山病になったんです。高校では山岳部に属していたので自信はあったのですが、まさかのリタイア。途中の山小屋でみんなの帰りをひとり待つことになり悔し泣きしていたところ、現地の人が親切にしてくれて。海も山も綺麗で、人も優しいし、すごくいいところだと感じました。感受性が高い時期だったからだと思うのですが、その経験がきっかけで将来はマレーシアに住んで働きたいと思うようになったんです。そして、本当に自分がこの国に馴染めるかを確かめるために、大学を休学して1年間マレーシアに留学しました。

濱田:どんなに好きな場所でも、旅行で行くことと暮らすことは違うと思いますが、実際に生活されていかがですか?お子さんも小さく、マレーシアでの育児環境も気になります。

安永:高校生の時のイメージのままで、人が優しいですね。あと、女性が子育てしやすい環境だと感じています。こちらで出産して今は子育てに専念していますが、子どもがいても女性が働いて当たり前の雰囲気です。制度としての育休は2カ月と短いですが、日本と違いまだまだ3世帯同居も多いですし、近くに住む親に預けて職場復帰のパターンが多いようです。
また、小さな子どもに寛容な人が多く、外食も非常にしやすいです。高いお店でもたいていの飲食店にベビーチェアや子ども食器が用意されていて、“子どもお断り”の雰囲気は全くありません。店員さんもとても親切に面倒を見てくれるところがほとんどです。ある時、半分屋外の火鍋屋での食事中に子どもがぐずっていたところ、お店の人が冷蔵庫の前に連れて行き冷風を浴びせてくれビックリしたことも(笑)。他人の子どもも世話をする、社会全体で子育てをする印象があります。日本は、外食したり電車に乗るのも子どもが少しぐずると他の人の目が厳しい気がして、マレーシアと比べると子育てしにくい気がします。マレーシアにいるからこそ、ここまで楽しく子育てできているのかなとも思いますね。

絶対、逃したくないと思って必死に行動した

濱田:マレーシアで働く際に、就職活動はどうされたのですか?

安永:マレーシアで働くことは当初から決めていたのですが、企業の駐在ではたとえ行かせてもらえても早くても数年はかかるだろうし、女性が派遣されることは少ないと聞いていたので、卒業後に現地で探そうと思っていました。卒業した2002年頃はちょうど現地採用が増えてきており、マレーシア在住の人に「こっちに来て就職活動をすれば見つかるよ」と言われていたので楽観的に考えて、日本では就職活動をしていませんでした。
しかし、大学4年の11月に時事通信社がマレーシア支局を新設するために、人材を募集するという話をゼミの教授から聞き、すぐにマレーシアへ飛んで、「面接してください」と電話をかけました。上司となる当時の支局長が、休日だったにも関わらず面接してくれて、マレーシア語ができるので、現地採用の記者として内定を頂きました。

濱田:現地まで行ってしまう行動力がすごいですね!

安永:絶対、逃したくないと思って必死でした(笑)。記者として内定を頂いたのですが、入社後、記者より営業の方が向いているということで、営業に転換して7年働きました。その間に営業先で夫と出会い、結婚したんです。仕事は大好きで、評価も頂いてとても充実していましたが、夫の帰国に伴い退職をして日本へ戻りました。そうしたら、再びマレーシア駐在が決まり、8ヶ月後にとんぼ返りして今に至ります。

濱田:再びマレーシアに戻られてからは、何か仕事をされているんですか?

安永:最初の半年くらいは専業主婦でしたが、以前のように仕事で人と関わりたいという気持ちが強くなりました。その頃、語学学校を経営している日本人の友人から「マレー語を日本人向けに教えてみないか」という依頼を受け、人に教えることは初めてだったのですが、せっかくのチャンスだからやってみようと決めました。2010年の4月に準備を始めて3ヶ月後に授業をスタートしました。

濱田:そんなに短い時間でどのような準備をしたのですか?

安永:そうですね。教科書もない状態から講義用のプリントを毎回作ったり、語学学校の他の先生方に模擬授業をしてアドバイスを頂いたり。授業は「生徒8割、先生2割」で話さなければいけないと言われていたのですが、私が話しすぎだと模擬授業の度に指摘を受けました。ただ、自分自身が大学や留学で学んできて、日本人のマレー語学習者の「ここが知りたい、分からない」を理解していたのが一番の強みだったかなと思っています。マレーシアでは英語が出来たら生活に不自由しないのですが、使って頂けるようになるべくマレー語を使った方がよいシーンを想定した授業を心がけましたね。

濱田:現地の言葉ができたほうが、ローカルの方とも親しくなれそうですね。

安永:はい。生徒の方から「今までマレー語を使っていなかったけれど、お会計時や職場で話してみたら現地の人との距離が縮まったよ」と言って頂けた時は嬉しかったですね。

天職は、就職活動の時にわからなくてもよい

濱田:語学学校の講師としては、どのような働き方だったのですか?

安永:パートタイムとしての採用でした。海外の現地採用は2年契約の雇用が多く、転職率が結構高いんです。国によりますが、求人も多いですし未経験でも可能な求人も有ります。海外で働きたいと思ったら、向いているか迷うより、まずは縁があった仕事をやってみたらいいと思います。天職や適職を探してためらっていると、チャンスを逃してしまう気がします。

濱田:実際に働いてみるのが大事なのですね。

安永:そうですね。私自身、今では営業も語学学校教師も天職だったと思えますが、仕事をする前はどちらも自分には向いてないと考えていました。正直営業職にはいいイメージがなく、また自分の妹弟に勉強を教えるのですら苦手でした。けれども、「この仕事を100%楽しもう」と精一杯頑張って働いているうちに、気が付いたらのめり込んでいました。最初からこれしかないと思い込まずに、チャンスがあればやってみる。天職は、就職活動の時にわからなくても良いのではないでしょうか。

濱田:何が自分に合っているかはやってみないとわからないですね。最後に、現在海外で子育てをされている安永さんですが、「あったらいいのに」と思うものはありますか?

安永:海外赴任などに伴い海外で子育てをすることになったお母さんたちを応援するサイトが
あったらいいですね。ただでさえ海外での子育てに不安を持つお母さんたちが多いのに、現地で手に入る子育てに関する情報ってなかなかないんです。ベビーグッズや、ミルクひとつとっても気になるし、もし日本から持っていったほうがよいものがあれば事前に準備もできますよね。海外で子育てをするお母さん向けの情報サイト、ぜひいつか濱田さん作って下さい。


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