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池内桃子さん

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カンボジア人の明るさに魅了された

濱田: 現在カンボジアに移住されていますが、この国に興味を持ったきっかけを教えて下さい

池内:現在所属している『カンボジアサーカス・ファー(Phare, The Cambodian Circus)』の母体であるNGO『ファー・ポンルー・セルパク(Phare Ponleu Selpak)』の、サーカス福岡公演の運営を、大学2年生の時にお手伝いしたことがきっかけです。この時出会ったカンボジア人たちが、とにかく明るい。初対面にもかかわらず、オープンな人柄で受け入れてくれてちょっと茶目っ気もある。この時のカンボジア人の印象があまりにも強烈で、それから長期休みを利用して何度もカンボジアに足を運び、サーカス団の拠点があるカンボジア第2の都市「バッタンバン」にも行くようになりました。来るたびに「ここに住めたらいいな」と思い始めるようになり、日本での就職活動は全くしませんでしたね。とにかくカンボジアに行きたくて、インターネットでカンボジアでの就職先を探してもなかなか見つからず。JICAの青年海外協力隊にも応募したのですが、経験不足で落ちてしまいました。

そこで選んだ選択肢が、日本語教師の道。卒業式の一週間前から講座が始まり、半年間で資格をとりました。その後、日本語教師能力検定試験も受けて、合格。今度こそカンボジアで働くんだと、意気込んでいましたね。

濱田: 日本語教師の資格をとった後、カンボジアで日本語教師という夢は叶ったのでしょうか?

池内:はい。日本語教師能力検定試験を受ける直前に、サーカスを通じて出会ったバッタンバンの孤児院でボランティア活動をしている日本人女性から、突然「バッタンバンで日本語を教えてみませんか」という話をいただいたんです。私が慕っていた日本語教師の先生たちは、「若いうちに経験できることは経験しておいたほうがいい」と背中を押してくれる人たちがいる一方で、実際に現地で日本語教師をした経験から、「経験なしで海外に行くのはおすすめしない」という意見を下さる方も。色々と考えたのですが、たとえば3年後に自分の意志は変わっていなかったとしても、自分や家族が健康を損ねるなど、その時に自分を取り巻く環境がどうなっているかはわかりません。それは自分でのコントロール不可能なこと。そう考えた時に、自分を引き止める大きな理由はそんなにないのではないかと思い、今のタイミングで行くことを決意しました。

カンボジア時間の中にどっぷり身を置きたかった

濱田: 旅行ではなく、なぜそこまで“住む”ことにこだわられたのでしょうか?

池内:日本に伝わっているカンボジアでのイメージは、地雷や貧困などのどちらかというとネガティブなものが多いと思うんです。カンボジアの良い部分があまり伝わっていないことがすごく悲しかった。せめて自分の周りにだけでもカンボジアの魅力を伝えていきたいと考えて、「魅力発信をするには、まず自分が現地に行こう」と決めたんです。旅行での細切れの滞在ではなく、カンボジア時間の中にどっぷり身を置きたかった。それが、ここに住みたいと思った理由です。

濱田: 日本語教師としてどれくらい働かれたのでしょうか

池内:10ヶ月間働き、その後は現在のサーカスに所属しています。教師生活の中で大変だったのが、スケジュール調整。カンボジアの学校は、家庭の事情などで継続して通えない生徒が少なくありません。期間を空けてから通う生徒も大勢いるため、クラスの生徒のレベルがみんなバラバラ。一応分けているクラスの中でさえ若干ばらつきがあるので、教える際は非常に大変でしたね。

また、安い学費で教えていたので、正直資金繰りの部分もあまり上手くいっていなくて。ここで働き続けるか悩んでいた時に出会ったのが、サーカスの代表。実は、日本語教師の仕事を始める前に、サーカスのマーケティング調査のお手伝いをしていたのです。その時のことを覚えて下さっていたみたいで、あるイベントに私が顔を出していた時、見つけて声をかけてくれました。日本人がシェムリアップに大勢来ているので、お客様を呼ぶために日本人スタッフが必要だという話をされて。次の日にもっと詳しく教えて欲しいとお願いして、そこで一緒に働くスタッフと顔合わせをしたりする中でイメージが沸いてきて、ぜひここで働きたいと伝えました。

このサーカスのことを、日本人に知ってもらいたい

濱田: 現在の仕事内容について教えて下さい

池内:営業スタッフとして旅行会社を担当しています。日本人スタッフは私だけで、直属の上司はアメリカン航空で20年間営業を担当していた男性。私は日本での就労経験がないのですが、彼からたくさんの営業ノウハウを学んでいます。主に旅行で日本人が来るようなホテル、旅行会社などに出向いてツアーにサーカスを組み込んでいただいたり、サーカスの説明をしたりしています。加えて、カンボジア人営業スタッフ2名の指導業務も行っています。

そもそも、このサーカスの発祥はタイとの国境難民キャンプ。ここで、フランス人ボランティアがアートセラピーとしてカンボジア人に絵を教えていたそうです。それを通じて、当時の戦争によるトラウマを癒す術を知った9人のカンボジア人が故郷のバッタンバンに戻り、自分たちが得た経験を若い人たちや地域の人たちと共有したいと考えました。それが『ファー・ポンルー・セルパク(Phare Ponleu Selpak)』の始まりです。

当時は絵画教室から始まり、後に演劇、音楽、サーカスの学校も開かれるようになりました。そこでサーカスや音楽の技術を学んだパフォーマーが、『カンボジアサーカス・ファー(Phare,The Cambodian Circus)』に出演しています。カンボジアサーカス・ファーはシェムリアップを拠点とし、毎晩のテント公演や海外ツアーなど雇用の機会をパフォーマーに提供することと、PPSの運営を経済的に支援することという2点を目的にソーシャルエンタープライズ(社会的企業)として、営利活動を行っています。

濱田: カンボジアで今後もこのお仕事を続けられるのでしょうか?

池内:先のことはあまり決めていないので、全く予想がつかないですね。ただ、開演当事から観客は欧米人が圧倒的に多く、日本人客誘致に関してまだ納得できる結果を出せていないので、そこは必ず達成したいです。私は大学生の時にこのサーカスと出会ってから、ずっと魅了され続けています。もし出会っていなかったら、カンボジアに行くこともなかったし、今どんな進路を歩んでいたか想像がつきません。多くの日本人の方たちに、ぜひこのサーカスの魅力を知ってもらえたら嬉しいですね。

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