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古川音さん

濱田 真里
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フリーライター。大学卒業後に6年間働いたメーカー会社を退職後、出版社にて編集の仕事に携わる。夫の転勤をきっかけにマレーシアへ移住し、日本語情報誌の編集を行う。4年間のマレーシア生活の後、日本に帰国。現在は「マレーシアごはんの会」を立ち上げ、 マレーシアの文化を伝えるために幅広く活動している。

「最初から最後まで自分の手で出来る仕事がしたかった」

濱田:古川さんはマレーシアで日本語の現地情報誌を発行する会社で働かれていたということですが、日本でもライターのお仕事をされていたんですか?

古川:はい、ライターの仕事は日本にいた時からしていました。でも大学卒業後はメーカーで6年間、営業の仕事をしていたんですよ。営業の仕事は楽しかったけど、メーカーってやっぱり技術があってなんぼの世界で。お客さんといくら仲良くなっても、「こうして欲しい、こう直して欲しい」という要望に、文系の私は応えられなかったんですよね。その経験から、最初から最後まで自分で出来る仕事、自分の手で直せる仕事がしたいと思うようになりました。

濱田:それでライターのお仕事をはじめられたんですね。でもなぜライターだったんでしょうか?

古川:ライターの仕事は、取材して、文章を書いて、また取材して・・・って最初から最後まで自分で出来る仕事でしょう?もちろん他にも最初から最後まで自分で出来る仕事ってあるはずで、どうしてライターを選んだのかっていうことはよく聞かれます。実は、たまたま読んでいた雑誌で『ライター』という言葉を見つけた時に「なんかいいかも!」って思ったから(笑)。なんだかよく分からないけどビビッと来たんですよね。

濱田: それまでされていたお仕事とはかなり違った職種だと思うんですが、夫からの反対などはなかったんですか?

古川:反対はされませんでしたね。ライターになろうと決めたとき、彼はオーストラリアに出張中だったのね。だからメールで、突然「会社辞めます」って送ったらびっくりはしていました(笑)。でも辞める前に、一度すごく真面目に聞かれたことがあります。「何で辞めたいの?どういう仕事がしたいの?」って。だから「最後まで自分で出来る仕事がしたい。」って言ったら、ちゃんと理解してくれました。その時ちょうど28歳。会社を辞めてライターの専門学校に通って、小さな出版社で働くようになりました。

濱田:そうだったんですね。でも、どうしてそれからマレーシアに行くことになったんでしょうか?

古川:夫の仕事がきっかけです。彼は海外営業の仕事をしていたので、いつか海外で働けたらいいねという話は2人でよくしていました。だから夫からマレーシアに駐在が決まったと聞いた時は、「いいね、行こう!」という感じであっさりと(笑)。今思うと不思議なんだけど、海外に住むことに不安はなかったんですよね。

「地球に根を張って生きれば、世界のどこででも生きていける」

濱田:海外で暮らすということは、やっぱり大変なことがたくさんあったのではないでしょうか?

古川:そんなに日本で働いている時と変わらなかったかな。マレーシアは車社会だし、日本食も食べられるし。でもやっぱり海外に住むことってすごくシビアだし、それなりにリスクがあることだと思います。自分が生まれた土地との繋がりってすごく深くて、日本では家族や友達との繋がりの中で生きているじゃないですか。だけど海外ではそういう繋がりがない。自分で意識的に根を張って、周りの人と信頼関係を築いていかないと簡単に枯れていっちゃうんですよね。だから海外の生活をすごく楽しんでいる人がいる一方で、枯れてしまう人も結構多いんだと思います。家族も友達も近くにいないし、大変なこともたくさんあって、「こんなはずじゃなかったのに」ってどんどんネガティブになってしまうんですよね。でもそれってすごく勿体ないこと。だって、そもそも来るって決めたのは自分じゃないですか。だからこそ私は、悔いを残したくないし、自分で選んだからにはここでの生活を楽しもうといつも思っていましたね。

濱田:海外に住むことは、その場所に根を張っていくということなのかもしれませんね。

古川:うん、そうだね。でも本当は、地球に根を張っていればいいんだと思います。その土地や国に根を張っていなくても、地球に根を張って、ちゃんと自分の足で立っていれば、世界のどこに行っても生きて行けるんじゃないかな。

濱田:地球に根を張るということは、アイデンティティが国や会社ではなくて、自分自身になるということでしょうか?

古川:そうそう!地球に根を張って、自分自身のアイデンティティを意識すると、強く生きていけるようになるはずです。これからは国とか会社ではなくて、一人の人間としてのアイデンティティがもっと大切な世の中になってくるんじゃないかな。

「待っているだけじゃ、いつまで経ってもやってこない」


濱田:4年間のマレーシア生活を終えて、現在は日本で暮らしていらっしゃいますが、最近の古川さんはどんな活動をされているんでしょうか?

古川:料理を通して多くの人にマレーシアについて知ってもらおうと、「マレーシアごはんの会」を主宰しています。帰国した後、ライターとしてマレーシアのことを伝えられる場があったらいいなぁと思っていました。 そういった仕事を依頼されるのを待っていたけれど、やっぱり待っているだけじゃいつまで経ってもそんな機会はやってこなくて。伝える場は自分で作らなきゃいけないんだって気が付いて、自分で「マレーシアごはんの会」を立ち上げました。

濱田:では最後に、古川さんの今後の目標を教えて頂けますか?

古川:私の目標は、「人はそれぞれ違っていて良い」ということを伝えること。私にとってマレーシアはその典型的な例なんです。色んな民族や宗教を持つ人たちがそれぞれのスタイルで生きていて、「あなたはあなた、私は私。だからそのままでいいんだよ。」っていう前提で成り立っている国だから。これからも「マレーシアごはんの会」を通じて、もっと沢山の人にマレーシアのことを伝えたいと思っています。


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