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笠原知子さん

濱田 真里
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東京教育大学及び同大学大学院(現筑波大学)芸術学科・彫塑専攻卒業。元東京都立高等学校美術科教諭。2008年12月よりカンボジアのシェムリアップで「小さな美術スクール」を立ち上げる。近隣の子ども達を対象に、無料の美術教室、日本語教室とコンピューター教室を展開し、村への出張授業を含めて現在6ヵ所で活動している。

「これまで培った全てをかけてここにいます」

濱田:笠原さんはなぜカンボジアに来られたのですか?

笠原:若い時に計画した人生設計を実現するために来ました。計画した人生設計とは、ある程度自分自身の人生に納得したら、生きる条件の悪い人たちのところで自分の能力を活かしたいと考えました。能力を活かすといっても私には美術しかありませんが、シェムリアップには貧しくて教育を充分に受けられない子ども達がたくさんいますので、そうした子ども達に美術を通して少しでも生きる力をつけてあげられたらいいなぁと活動しております。働くということを収入を得るという意味に限定するなら、私は働いていないことになるかと思いますが、学ぶ意欲がありながら学ぶ環境を得ることが難しい子ども達に学ぶ場を提供する働き方をしています。これまでの人生で培った全てをかけてここにいます。

濱田:カンボジアでの活動で収入はないのですか?

笠原:スクール建築費を含めて全て自分の資金でやってきました。1年前から子ども達のポストカードを販売するようになりましたが、スクール運営費を賄うにはまだまだ道は遠いと感じています。ですから現在も私の資金で運営しています。このスクールを始める時、組織的に運営することは難しいと考え、今のところはNGOやNPO登録をしておりません。でも、先を考えますと何か方策を立てなければならないと考えております。

「生き方に絶対これが正しいという正解はない」

濱田:笠原さんは何年間日本の学校で働かれていたのですか?

笠原:28歳から59歳までの31年働き、定年退職の1年前に辞めました。

濱田:なぜ1年早く辞められたんですか?

笠原:私が20、30代の頃の学校教育現場の環境と、50代に入ってからの環境がガラッと変わってしまい、社会の変化に伴って子ども達を取り巻く状況も大きく変化してしまいました。また、芸術科目の単位減など制度上の問題なども含めて、子どもを育成する教育観の変化に戸惑い、違和感を感じ、続けることが難しいと判断したからですが、おそらく、これは私ひとりに限ったことではないと思っております。今、日本の教育現場で働いている方たちの多くは戸惑い、違和感を感じながらも教壇に立っていられるのではないでしょうか。

濱田:ちなみにどんな違和感を持たれたんですか?

笠原:笠原:人間が成長する過程では、無駄と思われることでも、子ども時代に色々なことを体験、経験した方が良いと思います。子どもはこうした経験を通して何かを習得し、自ら学んでいくものと考えているのですが、今までのような幅広く学ぶことによって子どもの成長を促すという教育観が変わってきており、履修単位の変更という形で、偏差値で計れる教科重視、計れない教科の軽視が顕著になりました。極力無駄なことはしない方向になって来ていると思います。カンボジアに来て5年になりますが、日本に帰って思うことは、社会全体の傾向として不安感を煽っているようだということです。生き方に、これが絶対正しいという正解なんてありませんから、もう少し生き方に幅のある選択を示し、包容力があり、寛容な社会の方が子どもたちも安心して生きられるのではないかと思っております。

「労働対価プラス生きがいのある働き方が幸せな働き方」

濱田:働くことについての笠原さんの考えをお聞きしたいです。

笠原:働くということを収入を得るという視点だけではなく、労働対価プラス生きがいに繋がるような働き方をするという視点でも考える事が必要だと考えております。それが幸せな働き方なのではないでしょうか。私自身は31年間学校という組織に属して働いてきましたが、これからの人は、自分の能力にあった働き方を創造すると良いのではないかと思います。それには個人の資質や能力が問われることになりますが、社会に安全弁のような装置があれば、安心して冒険もできるかと考えています。

濱田:そうやって長く働かれていたのには何か理由があったんですか?

笠原:先ず、私自身が食べて生きていくためですが、高校生の時に自分の一生の計画を考えたことにあります。私の子ども時代は、多くの女性が大学に行きたくても行けない状況にありましたし、どんなに学問が好きでも大学進学を諦めざるを得なかった人たちがたくさんいました。ですから、ある程度自分の人生に納得したら、自分の能力を活かして誰かを応援できることをしようと考えておりました。しかし、この発想を組織的にやるのは難しいと考え、一人でやることを決め、それには資金が必要なので年月をかけて資金を貯え、この無料の美術スクールを作りました。一人で考え、一人で始めたスクールですが、今は二人の力強いスタッフに恵まれ、とても充実した働き方ができております。

濱田:それをやる場所が笠原さんにとっては日本以外の国だったのですか?

笠原:日本でこのスクールを作るには資金不足であり、親も子どもも違うものを求めているように思いました。いろいろな報道や書物を通して、現在の東南アジアの状況が私の子ども時代と似ていることを知っておりましたので、家庭に経済力がなく、学ぶ意欲があってもその環境を得られない子ども達に私の能力や資金を活かせるのではないかと考え、カンボジアを選びました。この仕事が私の人生の最後の仕事と思っております。無意味に食べ、ただ空気を吸っているだけでは意味がないので、自分がやりたいこと、やるべきことに焦点を合わせてこれからも活動して行きたいと思っております。

濱田:最後に何か学生にメッセージをお願いします。

笠原:カンボジアに来て、いろいろな国の人が性別、年齢に関係なく、色々な働き方をしているのを目にします。それで、働き方にも多様性があるし、働く場所も多様であると考えるようになりました。若い時は、自分の生き方を狭めず、色々なことにチャレンジするのが良いのではないかと思います。私は自力でやろうとしたため、このスクールを始めるのに長い準備期間を要しましたが、何かを始めたい時は、他の人の協力を得ることも大切であると考えています。どうぞ人とつながり、人と協調して、生きがいを感じる働き方をしていってください。


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1 Comment

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    片貝孝夫 2012年10月30日

    素晴らしいですね。応援したいです。

    返信

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