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筒井あづみさん

濱田 真里
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教師を1年で退職し、女優を目指してニューヨークへ移住

濱田:現在ニューヨークで女優として活動されていますが、いつからこの仕事に興味を持たれたのでしょうか。

筒井:はっきりとは覚えていないのですが、小さい頃から映画やテレビを見る度に、「私もここに出てみたい」と思っていました。当時は安達祐実が子役として大活躍していたので、その姿にも影響を受けたのかもしれません。

引っ込み思案だったので女優になりたいとは誰にも言えず、中学、高校時代はずっとブラスバンド部に所属してホルンを吹いていました。大学入学後はミュージカルの劇団に入ったのですが、演技そのものを学べる環境ではなかったので半年でやめてしまいました。

映画の勉強をしたかったので、2年時には映画を理論的に研究されている先生のもとで学ぶために、文学部から総合人間学部に転部しました。そこでは映画論を学び、実際の映画のシーンの構成を分析するという授業だったのですが、正直あまり面白いと思えなくて。

映画を批判したり分析したりする側ではなく、映画を作る側にいきたいという思いが募るように。そんな時にアメリカ文学の先生に出会い、少人数の授業が楽しくてこちらにのめり込んでいきました。

そして、就職活動では一度キャリアフォーラムに行ったのですが、自分がこの場所で戦って勝ち残っていく姿がどうしても想像できなかったことと、教授から大学院を勧められたこともあって大学院への進学を決めました。

卒業後はそのまま研究の道に進まずに、かといって企業への就職もするつもりはなかったので、非常勤講師として近畿大学附属高等学校と奈良女子大学附属中等教育学校の英語教師をしました。人に教えることも人前に立つことも抵抗はなかったです。

でも、非常勤講師の場合は契約が1年更新だったので、勤務して半年経った頃に来年度の意向を聞かれた時に、辞める意志を伝えました。実は、私は教職を探す時に始めから非常勤という条件で探していたんです。普通であれば常勤で探すところを、あえて非常勤で。

まだ当時は女優になるという明確な思いは持っていなかったのですが、おそらく会社や学校といった他の場所にどっぷり所属するのを避けたいという意識が、どこかにあったのだと思います。

教師をしながら自分の中で、「女優をやりたい」「この道を追いかけずに死ねない」という思いがどんどん強くなっていったことと、海外に暮らしたいという思いが高まっていたので、とにかくニューヨークに行くことを決め、1年間の非常勤講師契約が終わった後、2010年6月にアメリカへ渡りました。

教員を1年で辞めるのは短いと言われるかもしれませんが、自分の中では、日本でルールに乗っかり続けて社会人も1年間経験したので、「機は熟した」という気分でした。やるべきことはやったから、これからは自分の自由にしようと思ったんです。

きっと遅かれ早かれ、何があっても絶対にこの場所に来ていたと思いますね。でも、日本で私の周りにいる人たちは一生懸命勉強して進学し、良い会社に就職しているような人ばかりだったので、女優を目指していることは両親を含めてアメリカに来るまで誰にも言えませんでした。

アメリカでの演技指導は、日本とは根底から違った

濱田:なぜアメリカを選ばれたのでしょうか。

筒井:中高時代からずっとアメリカの音楽や映画が大好きで、「いつか住みたい」と思っていたんです。ずっと言い続けていたので、両親も周りの人も私が行きたがっていることを知っていました。

海外旅行には、いつか自分が住む場所の視察気分で色々行ったのですが、20歳くらいの時にニューヨークに来た時の衝撃はすごかったですね。他とは比べ物にならないくらいのエネルギーが溢れていて、人や情報量が多くて物事のスピード感も早い。芝居で有名な老舗の学校があることも魅力でした。

濱田:ニューヨークに行かれてからは、どうされたのでしょうか。

筒井:最初の2年間は、HBスタジオという演劇学校に通って芝居を学びました。大学院時代から3年間俳優養成所に通っていたのですが、アメリカでの演技指導は日本とは根底から違っていて驚きの連続でした。

たとえば悲しみを表現する場合、日本では「もっと泣いて」「もっと頑張って」という根性論的な指導になりがちなのですが、アメリカの場合は手法が確立されていて、感情を表現するための方法をマニュアルに沿って教えてもらえるんです。

ロジカルに感情コントロールの技術を習得する方法は、私にとても合っていましたね。ニューヨークに行く時点では映画出演経験は一度もなかったのですが、学校卒業後はCMに出演したり、アクション映画の主演として使ってもらったりしました。今でも常にインターネットなどでオーディション情報を探したりして、チャンスを掴みに行っています。

「答えがないものに挑戦したい」という気持ちが強くて、女優を続けている

濱田:筒井さんにとって、女優という仕事とはどんなものでしょうか。

筒井:女優という仕事は、自分にとって最も挑戦的なものだと思っています。私が今まで進んできた道だと、勉強して成績を出すと認められたり、授業のテクニックや子どもとの繋がりが強ければ教師として評価されたりしましたが、女優として認められるために必要なものは、なかなか言語化できません。

自分の一部の能力を求められるのではなく、人間性そのもの、人格そのものを問われる仕事です。この、「答えがないものに挑戦したい」という気持ちが強くて女優を続けているのだと思います。

濱田:経験やツテなど、何もないところから飛び込まれて、日本に帰りたいと思ったことはないのでしょうか。

筒井:ここではキャリアの作り方なんて誰も教えてくれませんし、何もかもが手探りで、自分ひとりで頑張るという状況はとても大変です。でも、いくらしんどい状況でも、やめて日本に戻りたいという気持ちにはなりませんでした。

それは、頑張ってやっていると、定期的にどこかで報われる瞬間が来るからだと思います。節目ごとに誰かが手を差し伸べてくれたり認められたりする瞬間があって、「まだいけるんじゃないか」と思って続けてきました。

でも、ここにい続けられている一番の理由は、「女優以外にやりたいことがないから」ですね。諦めたとしても、その後にすることが思いつきません。今の目標は、いつか日本で大々的に放映されるような映画に出演すること。そのためにも、引き続き挑戦していきたいと思います。


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