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島田智里さん

濱田 真里
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素晴らしい出会いをきっかけに、アメリカで都市計画を専門に勉強することに

濱田:現在ニューヨークの市役所でまちづくりをされていますが、何がきっかけでこの仕事に興味を持たれたのでしょうか。

島田:京都府南部で生まれ、緑が街の中にある環境で育ちました。自然環境に興味があったので、京都府立大学に進学し農学部森林科学科を専攻。就職前に色々経験をしたいと思い、大学を休学してアメリカオレゴン州に留学し1年間バイオロジー等を学びました。

帰国後は大学院進学も考えたのですが、本格的な進学前にまず就労し再留学も検討して費用を貯めることにしました。日本の社会人経験は海外に出た後日本で働くことになった時に、日本の就労経験がある方が良いと判断したことも理由でした。

実は、日本で仕事をしていた時に素晴らしい出会いがありました。当時、カリフォルニアの大学で都市計画を教えられていたアメリカ人教授が、サバティカルで京都大学に来られていて知り合いになったのです。

当時、この分野で女性で活躍されている方は多くなかったのもあり、「都市計画に興味があるが日本では都市計画は土木工学部やエンジニア出身の男性が多く、農学部出身の女性の私はどのように携れるか」と相談しました。すると、「アメリカで都市計画は土木工学の一部ではなくひとつの分野として確立しているので、アメリカで専門的に勉強してみたらどうか」と言われたんです。

そして、欧米にある都市計画に優れた大学院を幾つか教えてくださり、思い切って受験。結果、都市計画分野では高名なニューヨーク市立ハンター大学に進学が決まり、仕事を辞めて大学院進学のために再度渡米しました。教授は「頑張る若者を応援したい!」と大学院選考中にカリフォルニアの自宅に招待してくれたり、教授の授業を聴講させてくれたりと本当に力強いサポートをしてくれました。

今の生活は頑張って築きあげたものだから、毎日が貴重

濱田:念願の大学院では、どのような活動をされたのでしょうか。

島田:大学院での2年間は、学業以外にマンハッタン区長室主催のフェローシップと市の都市計画局でインターンシップをしました。私が渡米した年に、マンハッタン区長室が都市計画の大学院生を雇い、行政と自治体の間に入ってまちづくりをするCommunity Developmentのフェローシップ制度が作られたんです。

それに応募し開始1年目に私を含め12名が選ばれ、新しい都市計画政策の第1期生として本格的に都市計画に携わり始めました。その後、都市計画局でのインターンも決まり、卒業まで都市計画局で経験を積みました。

大学院卒業後は建築会社に入社したのですが、その後リーマンショックが起き、建築や開発事業に携っていた弊社も大きな影響を受け会社を去ることになりました。集団解雇ということで、通知後はその日のうちに自分の荷物をまとめて段ボールに入れて出て行くという、まるで映画のような衝撃的な経験でしたね。

私の場合、就労ビザがなくなると米国に滞在できなくなるため直ぐに就職活動を始めました。すると、ニューヨーク市公園局から面接に呼ばれたんです。はじめ、その時に募集していたポジションと私のスキル内容が若干合わなかったのですが、面接を終えるまでに「あなたのスキルに最適な仕事がある」と言われ、別の面接の機会を頂きました。

そこではまちづくりや環境計画に必要な地理情報システム(GIS)を使える人を探していて、私がまさに当時やっていたことだったのです。市の職員として働くために市の試験を受け専門職に必要な認定をうけ、ニューヨーク市公園局で働き始めることになりました。

濱田:公園局ではどのようなお仕事をされているのでしょうか。

島田:ニューヨークには公園局が所有する土地が4500以上あり、公園やビーチなどを含めて市の土地面積14%を管轄しています。職員も4500人以上おり、大規模開発から空間分析を使った研究、災害に強いまちや公園作りをしています。

日本とアメリカでは公園という公共空間に対する感覚が異なり、ここでは、皆さんまるで自分の庭のように気軽に公園に足を運ぶのでどの公園にもとても人が多いんです。ニューヨークは昔犯罪が多く危なかった歴史もあり、公共空間ではより多くの人が集い、自然と共存し、快適で安全な場をいかに提供できるかを考えて公園管理をしています。

時々仕事と自分の私生活の境目がわからなくなるほど、自分の仕事が好きですね。公園設計に関わったり、自分の研究結果が元に環境に優しい政策ができたりと、なんらかの形でこの街に貢献できていることがやりがいです。今の生活は頑張って築きあげたこともあり、毎日が本当に貴重。一切のためらいがないです。もしためらいがあれば、日本に帰国しているかもしれませんね。

ニューヨークに来たからこそ、出会えた自分がいる

濱田:ニューヨークに10年以上住まれていますが、この場所で働くことへのこだわりはありますか?

島田:絶対にアメリカやニューヨークというわけではなく、自分がやりたいことを実現できるのであればどの町でもいいと今は思っています。ただ、都市計画はその町に密接したお仕事なので、まずその町をよく知らなければいけないし、その町が好きでなければいけない。

日本を離れて長いのもあり、今の私の状況で突然日本でやりたいまちづくりの仕事を見つけるのは簡単ではないのかもしれません。だからニューヨークにいるわけではなく、ここでも多少男女の差はありますが、様々な学歴や背景を持つ人が経験と知識さえあれば同じようにチャンスが与えられることが多いため、私のような専門職では日本より仕事のチャンスを得やすいように感じます。

だからといってチャンスを待っているだけでは何も起きませんが、自分から取りに行けば掴めることもある。外国人として現地の行政で働けることは珍しいですが、私のように不可能ではありません。たとえ、今失敗しても人生の終わりではないので、とにかくできるだけのことをして、うまくいかなくなれば他に移るのもいいと思っています。

とはいえ20代からずっとアメリカにいるので、仕事だけでなく生活もニューヨークで居心地が良いのも事実です。日本にいる時は自分に自信がありませんでしたが、アメリカに住んでからは自己主張や努力をしている自分や失敗を認めることができるようになりました。

ニューヨークに来たからこそ出会えた自分がいます。リスクがあっても続けられるのは、自分がやっていることが心から楽しいと思えるから。そして、このまちが大好きです。毎日に感謝して、これからも楽しみながら頑張っていきたいと思います。


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