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清水咲里さん

濱田 真里
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新潟県出身。高校卒業後、鉄工場で1年半正社員で働き、退職後、新潟のアルビレックスチアリーダーズに所属。所属しながらダンスインストラクターの道を見つけチアダンスだけでなく、エアロビクスや高齢者の健康体操、振付師などとして指導をする。現在はタイのバンコクでチアダンスの普及活動中。

「今しか出来ないことを選択する」

濱田:清水さんは、タイに来る前からチアダンスのお仕事をされていたんですか?

清水:日本でも8年近く携わっていました。チアダンスは母が先生をしていたので、小さい頃からずっと習っていたんです。高校を卒業して一度は就職したんですが、やっぱり踊りたいという気持ちが強くて。それで、たまたまテレビCMで知った新潟アルビレックスのチアのオーディションを受けて、プロになりました。それからはプロとして踊りながら、インストラクターをしたりしてずっとチアに携わっています。

濱田:小さい頃からずっとその道を歩んでいらっしゃるんですね。

清水:そうですね。物心ついた頃からチアしかやってこなかったから、逆にそれしかなかったというか。でも、だからこそ、この仕事に就くことが出来て幸せ。特に子どもにダンスを教えるのは、自分の天職だと思っているんです。

濱田:そう思えるのはとても素敵なことだと思います。でも、天職だと思えるお仕事をされていたのに、敢えて日本を出ようと思われたのはどうしてですか?

清水:天職は天職でも、ただ同じことをやっていくのではなくて、そこから何か自分で変化を起こしていかないと面白くないんですよね。ちょっとずつスパイスを入れていく感じかな。だから「子どもにチアを教える」というベースは変えずに、その中で海外に出てみたり、色々経験してみたくなってタイに来ました。今の目標はタイにいるもっと多くの日本人の子どもやタイ人の子どもが、チアを習える環境を作ることです。子ども達にチア通じて生きる力を付けてほしいと思っています。同時に、チアのスピリットを知っている先生を育てたいですね。一人で出来る事って限られちゃうから。

濱田:タイに来られる時に、8年間積み上げられたキャリアを辞めることに迷いはなかったんですか?

清水:それはもう悩みましたよ(笑)。3ヶ月くらいずっと。それだけ失う物も大きかったから。それでも行こうと思えたのは「今しか出来ないこと」を選ぶ勇気があったからでした。思い返せばいつもそうやって物事を決めてきたんですよ、私。だけど、「本当に良いの?」という思いはずっとあって、タイに行く直前までそれは尽きませんでしたね。

濱田:その思いを直前に断ち切れたきっかけは何だったんですか?

清水:それは、仲間が開いてくれた送別会。私を送り出すために、みんなが一つになって踊ったり、プレゼントをしてくれたり。本当に盛大で、とにかくすごかったんです。こんなに素敵な仲間が応援してくれているんだから、「タイに行く」という決断は正解なんだなって思って、その時に、「よし、行こう!」と心から思えました。                                                                                        

「人って誰かに必要とされていないと、生きている意味を見出せないものなのかもしれない」

濱田:実際にタイに来られてみて、どうでしたか?

清水:最初に実感したのは、外国人として暮らしていくことの難しさです。仕事をするにしても、言葉は分からないし、なかなか信用もしてもらえない。それに人脈もないから、全部ゼロから自分でやらなきゃいけない。だから最初の1、2ヶ月はすごく不安で、正直「何で来ちゃったんだろう…」と思いましたよ(笑)。

濱田:外国で暮らしていくのは、楽なことではないですよね。

清水:私の場合、「日本で積み上げてきたキャリアがある」という、変な自信があったから尚更だと思います。「海外で働くなんて、余裕だ」くらいに思っていたのかもしれない。それが実際に来てみたら、全くのゼロからのスタート。キャリアを捨てて海外に出ることの厳しさを、分かったつもりで全然分かっていなかったんでしょうね。

濱田:その困難な状況を克服出来た転機は何だったんですか?

清水:それはやっぱり友達が出来て、自分の居場所が少しずつ出来てきたからだと思います。人って結局、誰かに必要とされていないと、生きている意味を見出せないものなんでしょうね。タイに来た時の私は誰からも必要とされていなかった。でも友達が出来てコミュニティの中に入れた実感があったことで、必要とされていると実感出来たというか、「ここにいて良いんだ」と思えたんです。

濱田:海外にいると、尚更周りにいる人の存在が大きく感じられるのかもしれませんね。

清水:そうですね。仲間の素晴らしさとか、日本の生活のし易さとか、タイに来たからこそ気づけたことが沢山あります。中でも一番大きかったのは、自分が家族や仲間に支えられて生きてきたのだということに気づけたこと。周りの人たちに生かされているんだなぁ、と思います。

濱田:日本を出てはじめて気づけることってありますよね。本当に大変な時間を過ごされたと思うのですが、今の清水さんはタイでの生活を本当に楽しまれている印象を受けます。

清水:大変だけど、結局今やっていることが、自分がずっとやりたかったことなんですよね。一度日本に帰った時「チアを教えるのも、営業も広報も、全部自分でやらなきゃいけないから大変だ」って友人に愚痴ったことがあったんです。そしたら、「タイにいく前は”誰にも指示されないで、思うが儘に、全部自分でやりたい”って言っていたよね。」って言われて。言われてみたらその通りでハッとしましたね。「気づいたら、夢が叶っていた」みたいな感じでした(笑)。

「良いことも悪いことも含めて、より沢山のことを感じて生きていきたい」

濱田:清水さんの今後の夢は何ですか?

清水:子どもたちがチアを習える環境をタイに作るという目標はありますけど、これと言って大きな夢はないかもしれません。「夢」と言っても、これまで全部叶えてきているので(笑)。

濱田:夢は全部叶えてきたって言えるだなんて素敵ですね!

清水:昔から「やりたい」と思ったことは、絶対にやらなきゃ気が済まない性格なんですよね。それに、出来ないことはそもそも目標にしないから、出来ないことなんてない。絶対に出来るの。根拠のない自信(笑)。

濱田:でも世の中には実現出来ることも、行動に移せず夢のままで終わってしまう人もいますよね。

清水:慎重になることは大事だと思います。でも、行動しなかったら成功も失敗も、何もないですからね。私は良いことは勿論、悪いことも含め、より沢山のことを感じて生きていたい。だって、人生は一度しかないんですよ。折角の命を目一杯使いたいじゃないですか。そう思ったら行動するしかないですよね。その結果、例え不幸になったとしても、行動しないで何も得られないより幸せだと思うんです。

濱田:その方が、「生きている」って感じがします。何よりも、行動に移すことが大事なんですね。

清水:そう思います。私は感性とかニュアンスを信じてここまで生きてきた人間だから、特にそう思うのかもしれません。世の中には、そうじゃない人もいるし、私のような生き方を理解してもらえないこともありますけどね。でも、生まれ持った感覚で生きていくのが、一番自分らしい私のやり方だと思っています(笑)。自分らしく生きるのが一番ですよ。

濱田:「自分らしく生きる」というのは、とても大事なことですよね。でも、どうしたら清水さんのように「自分のやり方」に気づくことができるのでしょうか?

清水:それは実際に経験を積んでいくことで見つかるものだと思います。最近は「自分の好きなことが分からない」とか「何に向いているのか分からない」と言う若者が多いけど、ますは何でもいいからやってみること。大きなことでも小さなことでも積極的にチャレンジしていけば、自分の中の選択肢が増えて、自分らしいやり方や夢って、自ずと見えてくるんじゃないでしょうか。私も高校卒業後、就職をしたり、タイに来たり、色々な経験をしましたが、その一つひとつの点が繋がって線になって、今の私があります。だからまずは食わず嫌いしないで、何でもやってみて下さい。


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