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今村志帆さん

6月 13th, 2019|Comments are off for this post


たまたま派遣されたコタキナバルに魅了され、28歳で移住を決意

濱田:コタキナバルに来られたきっかけについて教えて下さい。

今村:JICAの青年海外協力隊に参加して、コタキナバルでの「ボルネオ生物多様性生態系保全プログラム」の住民啓発・広報部門に派遣されたことがきっかけです。2年間、地元の方向けの広報物を作成していました。

青年海外協力隊は行く国を自分で選べないのですが、編集という職種だとコタキナバルに1件しか募集がなく、たまたまこの場所に来ることに。最初はコタキナバルがどこにあるか知らないくらいでした。応募したのは2003年で、新卒で入った印刷会社にボランティア休暇制度があったので休職して行きました。当時26歳でしたね。

そして、元々2年で帰国予定だったのですが、コタキナバルの魅力に取り憑かれてしまったことと、仕事仲間だった今の夫と出会ったことで、28歳の時にコタキナバルに移住することに。その後、結婚して2人の子どもに恵まれました。

両親は最初大反対だったのですが、実際に夫を会わせたらすっかり意気投合。今では両親の方がコタキナバルを気に入り、毎年遊びに来ています。のんびりしていて、人も穏やかで親切で本当に良い場所です。日本よりものびのびした子育てができる環境ですね。

濱田:元々、海外で働きたいという願望はあったのでしょうか。

今村:将来、海外で働いてみたいという漠然とした思いが学生の頃からありました。両親は海外勤務経験がないのですが、私には国際的に活躍して欲しいという期待を持っていたようです。

国際基督教大学に進学したので、周りには帰国子女や留学生ばかり。海外で活躍している同級生が大勢いましたが、私は日系企業に就職し、出張などで機会があれば行きたいという程度だったので、まさか自分が海外で働くことになるとは思ってもいませんでした。

そんな私が青年海外協力隊に興味を持ったのは、出版の仕事をしていた関係で、JICAの研修で来られたアフリカの教育関係者に教科書の作り方を教える講師をしたことがきっかけです。出版の仕事で海外と繋がることは難しいと考えていたのですが、実際に研修を担当してからは、どんな分野でもある程度技術があれば海外に出るチャンスがあるのではないかと思うように。

そこからインターネットなどを通じて情報収集をし、青年海外協力隊の募集を発見。協力隊員としての仕事は、日本政府とマレーシア政府合同の大規模プロジェクトだったので、一個人で動ける範囲がほとんどなく、色々な葛藤もありました。

でも、地元の人と一緒に仕事ができたことは自分にとって良い経験になりましたね。環境関係の仕事だったため、自然保護区に行ったりサバ州全体に出張に行ったりすることも多かったです。そこでコタキナバルの自然に出会って感銘を受けたことで、現在の観光の仕事をしようと思い立ちました。

コタキナバルに住んでいるからこそ、感じられる幸せがある

濱田:現在は、ボルネオ島コタキナバルの各種ツアーを提供する「NIKIBIX TOURS」を運営されていますが、どのような流れで立ち上げられたのでしょうか。

今村:結婚後は夫の親戚が経営しているNIKIBIX OUTDOORというアウトドア関連のお店を手伝っていました。そこに日本人のお客様が時々来て、観光相談にのるように。それが口コミで広まって日本人が集まり、観光案内所のようになっていきました。

サバ州の観光スポットは協力隊時代にたくさん足を運んだので十分な知識があり、実際に案内してほしいという方もいたため、ツアーガイドになることに。ツアーガイドは、マレーシア観光省による国家試験に合格し、日本語ツーリストガイドの資格を取得する必要があるので、約5ヶ月学校に通って試験を受けました。そして2008年に「NIKIBIX TOURS」を立ち上げ、フリーランスとして活動を開始したのです。

サービス内容は、普通のオプショナルツアーに出たりもしますが、完全オーダーメイドの個人ツアーが主。ロングステイの下見がしたいという方やツアーの人が行かないところへ行きたいという方など、リクエストに応じてツアーを組んでいます。旅行会社で働くことも考えたのですが、子どもがいるので自分の予定を調整できるフリーランスを選びました。自分にはこの働き方が合っていますね。

今の仕事ができているのは、協力隊時代の2年間で色んな場所に行った経験のおかげです。また、コタキナバルの人は英語を話せますが、母国語であるマレー語で話しかけた方が仲良くなれるので、マレー語が話せるようになったことも強みのひとつ。これまでの小さな積み重ねの結果、今の仕事ができているのだと思います。

濱田:コタキナバルで働くことで、得られるものと諦めなければならないものについて教えて下さい。

今村:日本はサービスのレベルが高いので、要求しなくても希望のものが出てきますが、コタキナバルではその都度サービスレベルが変わるので、同じものを手に入れるのに日本の何倍も苦労します。

でも、約10年間住んできて、コタキナバルの生活にデメリットを感じなくなったのも事実。日本品質のものがないと生きられないという人もいれば、それはいらないから別のものが欲しいという人もいます。私にとってはコタキナバルの方が自由ですし、色々な可能性を感じますね。

今の観光の仕事では、毎回違うお客さんと接することができ、同じ場所に行っても全く違う景色が見られたりして、毎日が新鮮です。日本人のお客さんと話ができて日本の情報を得ることもでき、日本人ツアーガイドならではの案内ができています。自分が楽しく、やりがいのある仕事をしながら、家族と一緒に暮らしていけることは幸せです。

濱田:日本に今後帰国されることは考えていますか?

今村:両親の介護などがあれば一時期帰るかもしれませんが、基本的にはコタキナバルで生活をするつもりです。ここで子どもの教育をしていますし、結婚した理由のひとつは、この土地が好きだから。

今後マレーシアの別の場所に引っ越すことも考えていません。夫がもし転勤になったら、「単身赴任で行ってきて」と言いたいほど好きな場所です。私はマレーシアに住みたいわけではなく、コタキナバルに住みたい。日本よりもコタキナバルにいる方が落ち着きますね。

長時間労働が当たり前の環境だと、家族の時間を大事にできない

濱田:お子さんをふたり育てながら仕事をするのは、大変そうです。

今村:子育ても仕事も大変だから、両方やると2倍大変になるのではないかと思われがちですが、逆に子育てだけの方が大変です。仕事をすることによって息抜きや気分転換ができますし、仕事後に疲れて帰っても、子どもたちを見たら癒されます。

苦労が2倍になるわけではなく、両方やるからこそ仕事も子育ても楽しむことができていますね。それができるのは、子どもを気軽に預けられる環境があるから。私は仕事に行く時は、上の子は幼稚園で夕方まで預け、下の子は同じマンションに住むベビーシッターの方に預けます。

ベビーシッターさんは家族のような感じで、何かあった時に頼れる人がいるのは安心です。子どもたちも、ベビーシッターさんやそこに集まる他の子どもたちと遊ぶことによって世界が広がっているよう。家でお母さんだけが集中して子どもの世話をする必要はなく、信頼できる預け先さえあれば預けてよいのではないかと思います。

濱田:日本では近年、働く女性を増やすための政策が進められていますが、どう思われますか?

今村:女性の負担を減らしたり働き方のシステムを変えたりする以前に、日本人は働き過ぎではないでしょうか。男性も女性も夜遅くまで残業するような、長時間労働が当たり前になっていることが、女性の就労を難しくしているのだと思います。日本人は勤勉すぎる気がしますね。

マレーシアや東南アジアの国々では、仕事は定時で終えて家族みんなでご飯を食べ、休日はお父さんが家事をしたり、子どもと遊んでくれたりします。それが当たり前の環境なので、女性も働きやすいんです。日本は仕事量や残業量が評価されてしまうようなシステムなのかもしれません。

濱田:最後に読者の方へのメッセージを下さい。

今村:コタキナバルで協力隊を終えて日本に帰り、職場に復帰してそのまま日本での仕事を続けるか、結婚して海外で働くかで迷った時期もありました。最終的に海外で暮らすことにしたのは、その方が面白そうだなと思ったから。当時の私は海外で働く当てもなく、とりあえず結婚するためにコタキナバルに戻ってきました。

あれこれ考えても先のことはわかりません。実際に来てみて自分なりに探していれば、何か見つかるはず。直感を信じて飛び込んでみて、もしだめだったら日本に戻ればよいだけのこと。海外に数年住むだけでも、視野が広くなって日本での生活も変わると思うので、ぜひ挑戦してみてほしいです。