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中村八千代さん

濱田 真里
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26歳で突然、4億円の借金を抱えることに

濱田:現在フィリピンで、貧困の青少年育成を目的とするレストランUNIQUEASE(ユニカセ)を経営されていますが、いつから海外に興味を持たれたのでしょうか。

中村:小学生の頃から、いつか留学したいと思っていました。理由は、27歳の若さでスーパーマーケットを築いた自慢の父親が、唯一できないことが英語だと思ったから。尊敬していた反面、何か勝てるものが欲しかったんですよね。

大学の卒業式の翌日にカナダに飛び、2年間留学をしました。そして貿易会社に就職しようと考えて帰国したのですが、なんと父親が何十億円という借金を作っていて、私はその借金の連帯保証人になっていたんです。それからは、とにかく借金返済に走り回る日々。

まず、私が20歳の時にガンで亡くなった母から引き継ぎ、実際は父や父の部下が経営していた「中村商店」という酒販店の経営に携わりました。右も左もわからない状態でしたが、少しずつ経営がまわっていくように。

しかし、半年ほど経った頃、父親に「5000万円貸して欲しい」と言われて貸した結果、父親の会社が1ヶ月後に倒産。お付き合いがあった会社にお金を返せなくなり、父と妹と親子3人で夜逃げしました。

でも、結局そのままにしておけなくて、私は1週間後にお店に戻り、父親が迷惑をかけた謝罪をするため銀行へ。すると支店長室に通されて、なんと中村商店にも4億円の借金があったことが発覚したのです。26歳で突然、4億円の借金を抱えることになって愕然としましたね。返済プランは毎月120万円返済の80年ローン。お先真っ暗で、「どうやって死んだら楽か」と考える自分と、諦めない自分との戦いがスタートしました。

濱田:そんな状態に突然陥ってしまったら、人間不信になってしまいそうです……。

中村:実は3回自殺未遂をしたのですが、そのたびに支えてくれる友人たちがいたことによって救われました。人に裏切られるのと同時に、人に救われる経験を何度もしましたね。

私は当初、借金を抱えたことが恥ずかしくて誰にも相談できなかったんです。打ち明けたのは借金発覚の約3ヶ月後。でも、借金があっても家族と家を失っても、私を受け入れてくれる友人が大勢いて。辛い時はひとりで抱えるのではなく、周りの誰かとシェアできることが、何よりも大事だと実感しました。

借金を抱えながらも私が心に決めていたのは、「どんなに赤字でどんなに辛くても、給料だけは必ず払う」こと。当時、中村商店には14人の従業員がいたのですが、お金は後からついてくるものだけど、人は育てたり守ったりしなければそばにいてくれない、人を守れなかったら経営者じゃないと思っていたので、このモットーだけは守り通していました。

問屋さんから担保になるものを聞かれた時は、「私の身体です」と返しましたね。「そこまでの覚悟があるんだったら、支払いを待つ」と言ってくれて。必死に働く私の姿を従業員の人たちは見てくれていて、みんな協力してくれました。

お客様に満足してもらえるようなサービスを徹底した結果、自分の儲けも出るくらい店が軌道に乗るように。そして、不良債権の処理方法が変わったおかげで借金の一部を免除されたことも手伝い、10年で借金返済し、それと同時に店を閉めました。

借金返済5分後に、フィリピン行きが決定

濱田:借金返済後はどうされたのでしょうか。

中村:借金返済が終わる約4年前から国際医療援助団体の職員としても働いていたのですが、そこから独立して国境なき子どもたち(KnK)というNGOを立ち上げた元同僚に「借金返済が終わった!」という電話をすると、「フィリピンのポストが空いているから、どう?」と聞かれて即決しました。返済して5分後にはフィリピン行きが決まっていましたね(笑)。

国際協力に携わりたいという思いを持ち始めたのは、30歳の時に起きたアメリカ同時多発テロがきっかけです。生まれた時からテロをやりたい人はいないはずなので、テロが起きる社会構造に問題があると考えるように。自分自身の経験上、親や社会の犠牲になっている子どもたちが、どうしても他人に思えないんです。それもあって、日本では児童福祉施設でのボランティアなども行っていました。

フィリピンには2006年の7月に赴任し、現地で路上生活をしている子や刑務所に入っていた子たちと接するように。会う前は緊張したのですが、会うと「おねえさん、おねえさん」と明るく話しかけてきてくれて。でも、過去の話を聞くと耳を疑うような経験ばかりしていて、そのギャップに衝撃を受けましたね。

そして、私の赴任1週間後に、このNGOで元々援助していた21歳の男の子が射殺される事件が起きたのです。スーパーでケチャップのようなものを盗もうとして、警備員に射殺され、その子は武器を持っていなかったのに正当防衛として処理されてとてもショックでした。

もっと衝撃だったのは、その子の親に連絡をすると、「葬儀場に行くお金がないから、行けない」と断られたこと。約100円のジプニー代金ですら出せないと。これまで私は借金を背負わされたり、保険をかけられて売られた気分になったりと、理不尽な目に遭ってきましたが、その時感じた以上の憤りを抱きました。

「私の力では不十分かもしれないけど、なんとかしたい」という思いが沸々と湧き、その子の死を無駄にしないために、ストリートチルドレンや虐待を受けたり育児放棄されたりといった、危険にさらされた子どもたちに手を差し伸べる仕事をしようと決意したのです。

またある時、教育支援をしていた14歳の男の子に、「高校を卒業しても仕事がないのに、なぜ学校に行くの?」と聞かれました。それは当時の私たちが抱えていた課題で、大卒の方が即戦力になるため、高卒だとなかなか就職できない現状がありました。でも、どんなに頑張ってNGOが支援しても、大学まで行かせる余力はありません。

結局、子どもたちはどこにも雇われないと、路上で野菜を売るくらいしかできないのですが、許可を得ていないから商売道具をすべて持っていかれてしまうことも。大学に行ければ就職できて給料ももらえて、子どもを産んでも学校に通わせることができるという金持ちの連鎖がある一方で、貧困層に生まれた子たちは食べるのがやっと。

義務教育の学費はタダですが、教材費や制服代で諸々費用がかかるため、小学生の頃から年に何万人もドロップアウトしています。私はこういった現状を見て、高校卒業までに仕事に必要な教育をしたり、こういった子どもたちを採用する社会的企業が増えたりしない限り、現状を変えるのは難しいと思うようになりました。

高卒資格も大事ですが、社会に出て稼ぐためのビジネスマナーやコミュニケーション能力を学ぶ場は、学校の教育以上に必要だと実感したのです。そういった場所がないのであれば作りたいという思いから、2010年5月に社会的企業「ユニカセ・コーポレーション」を設立し、8月にレストランをオープンしました。

貧困層に生まれた子どもたちにも、夢を諦めずに自分の人生を歩んで欲しい

濱田:「ユニカセ・コーポレーション」について教えて下さい。

中村:ロハスにこだわった健康食レストラン「ユニカセ・レストラン」を運営しています。2008年8月ごろからリサーチをして、健康に特化したフードビジネスをしたいと結論付けたのが始まりです。

フィリピンの食事は油ものが多く、野菜が少なく調味料は砂糖ばかり。その影響か、この国の死因一位は心臓発作です。私はフィリピンにいる時は外食ばかりだったので、胃を痛めて年に3、4回入院していました。

ところが、野菜中心で時々肉を食べるという食生活に変えると、1年であっという間に体調が回復したんです。日々の食事の重要性を実感したことで、健康食を提供しようと決めました。

また、ここで働く私以外の有給スタッフは、みんなNGOから紹介されてきた青少年たちばかり。自分の誕生日を知らない子や虐待を受けていた子たちもいますし、10人にひとりはストリートチルドレンでした。

採用では学歴は一切問わず、やる気があるかで判断しますが、彼らはまだ成長の途中段階のため、働き始めても支援を受ける受益者側の立場から抜け出せないことも。お金は働いて稼ぐものだという仕組みを理解できず、2,3か月で辞めてしまったり、全員が何らかの問題抱えているので、仕事を突然休んだりすることも日常茶飯事です。

この状態で店を回さなくてはならないことに難しさを感じますが、もしこの子たちが他の会社に行ったら絶対クビです。辞めさせるのは簡単ですが、社会的企業として「そういう子たちを簡単に辞めさせていいのか」というジレンマとは常に戦っていますね。

私は、彼らに何かを教える際は3つのステップを踏まえています。1回目は優しく教え、2回目は少しキツく教え、3回目は次にした場合にどうするかの警告です。でも、みんなすぐに忘れてしまうので、3回目どころではありません。

というのも、元ストレートチルドレンたちは、パンよりシンナーのほうが安いため、路上生活していた時にシンナーを吸っていたことが多いんです。空腹を妄想で抑えるのですが、シンナーで脳細胞を殺されて、物忘れが激しくなってしまうことも。

店の運営は毎日が困難の連続で、どんなにケアやトレーニングをして、赤字の時にも絞り出して給料をあげても、裏切られることもあります。精神的にタフじゃないと難しい仕事だと思いますね。

濱田:それでも中村さんがこの仕事を続けられているのはなぜでしょうか。

中村:私自身が 20代で借金を背負ったことで夢を諦めさせられ、家族の犠牲になったという強い思いがあるからです。だからこそ、出会う子どもたちの夢を叶えさせてあげたいし、家族の犠牲になるのではなく、自分の人生を歩んで欲しい。そのために、一人ひとりに寄り添って、経済的、精神的自立をサポートしていきたいと思っています。

私はユニカセで働く子どもたちによく「夢を持ちなさい」と言っているのですが、子どもたちから、「貧困層に生まれ育った自分は、どうせ叶えられないから夢を持ってはいけないと思っていたけど、ユニカセで働きはじめてから夢を持てるようになった」と言われたことがあります。

ストリートチルドレンの数を一気に減らすといった大規模な変化は起こせませんが、せめて自分が出会った子どもたちには、自立して仕事を持ってもらいたい。そのための後押しを、引き続きユニカセで行っていきたいですね。

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