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井村亜矢さん

9月 14th, 2016|Comments are off for this post


「海外でやってみたら、できちゃった!」を体現する存在に

濱田: 「ニンジャガールズ」というグループを立ち上げて運営されていますが、活動内容について教えて下さい

井村:2011年に日本人女性数人でブログを書くことから始まった活動です。現在は動画ブロガーユニット「ニンジャガールズ(ninjagirls.sg)」名義で英語での情報発信や、企業とのコラボイベント開催などをしています。きっかけは、シンガポールに来た当時、日本人女性としてどこに行ってもすぐに受け入れてもらえる環境に、「なんでもできるんじゃないか」と勘違いしたこと。そこで、シンガポールで有名になれば「海外でやってみたら、できちゃった!」という事例になり、日本人女性をエンパワーメントできるのではないかと考え、友人とユニットを組みました。私自身の仕事は、トレンドリサーチを含むマーケティングリサーチを本職にしています。

濱田: 初海外はいつだったのでしょうか?

井村:高校の時に1年間交換留学でアメリカに行ったことです。「あなたは将来留学するのよ」と小さい頃から言われていて、英語はずっと習っていましたね。アメリカ留学した時は、両親に「これからはホストファミリーを家族だと思って過ごして、1年間は連絡しないこと」と言われ、実際に一度も連絡はしませんでした。帰国後、母に成田に迎えにきてもらった時は感動の再会だったのですが、その時に、ご褒美がふたつあると言われたのです。ひとつ目はノートパソコンで、ふたつ目は高校を卒業したら中国の大学に行くという話。突然だったので意味がわからなかったのですが、当時台湾駐在をしていた彼氏に相談すると、台湾で流行っているジェイ・チョウのCDを送付してくれて。それを聞いた時に、「なんてかっこいい音楽なんだ!この意味がわかるようになりたい!」と思い、中国に行くことを決めました。完全にノリで動いている部分もありますね(笑)。

大学は北京大学の医学部に入りました。実は他のことを勉強するつもりだったのですが、その年の留学生が多くて、学生寮が空いていなかったんです。そのため医学部へ勧められて入ったのですが、1年生の時にSARSが大流行して医学部キャンパスに戻ることに不安があり、2年目は北京外国語大学に再入学。そこで学位をとるつもりだったのが、父の会社が経営不振に。「これ以上仕送りができない」という連絡をもらい、日本に戻ることになりました。どうしても帰りたくなくて、粘って半年ほど北京でインターンしたのですが、前と同じような生活には戻れなさそうだと納得して、20歳で日本に帰国しました。

大学を卒業しないで社会に出るとは、思ってもいなかった

濱田: 日本帰国後はどうされたのでしょうか?

井村:まさか、自分が大学を卒業しないで社会に出ると思ってもいなかったので、大学を卒業せずにどうやって就職活動するかわかりませんでした。とりあえずコンビニエンスストアで就職情報雑誌を買って求人を調べたのですが、どれも大卒以上の仕事ばかり。唯一、英語と中国語だけが応募条件になっていた新千歳空港の構内通訳の派遣で応募して、社会人生活がスタートしました。ここで働くうちに、上司からJR北海道の客室乗務員センター、いわゆる新幹線のワゴンの販売員の仕事を紹介されて2年間勤務後、23歳の時にリクルートに転職したのです。

ビジネスの基礎を学びたいという思いでリクルートに飛び込み、求人誌を作る部署で仕事に没頭する日々。営業は苦手だけど、求人の原稿を書くのは好きというジレンマの中で働き続け、最後は心労で体調を崩してしまいました。でも、“どうせ辞めるんだったら履歴書に書けるような実績を作ろう”と思い、「東日本ベストプラクティス大賞」を取ってから辞めました。その後に向かったのはマカオ。療養中に、投資やビジネス関連の本を読み、そのなかで特に感銘を受けた本の著者が住んでいるのがこの場所だったのです。筆者の元で働きたいと思い、連絡をして一緒に働かせてもらえることになりました。

濱田: マカオではどのような仕事をされていたのでしょうか?

井村:グループ全体のマーケティングディレクターと、新規事業の立ち上げを兼任しながら、1年間ほど働きました。ここで、現在私がしている仕事に必要なもののほとんどを身に付けたと言っても過言ではありません。そして、25歳の時に立ち上げた事業が軌道に乗り、同時にシンガポール人である今の夫と結婚する話が出たので、この事業をスピンアウトして小会社をシンガポールに立ち上げることに。アメリカ、中国、マカオと渡り歩いてきましたが、それからはずっとシンガポールに拠点を置いています。

シンガポールでは、働く母が、いい母

濱田: 井村さんは、シンガポール人である夫とどのようにして出会われたのでしょうか?

井村:北海道で働いていた時に、国際交流プラザの掲示板で募集した語学学習パートナーとして出会ったことがきっかけで付き合うように。夫はガス・油田を顧客に持つフリーランス潜水士です。加圧装置に入って何ヶ月も作業することも。だから、年の半分は勤務でいないこともあります。でも、お互いとても自由に活動していて、とても仲良し。きっとお互いのライフスタイルを認め合い、支え合えるからでしょうね。私がニンジャガールズをやろうと考えた時も、「誰もやったこともないことをするのだから、最初から枠を決めてしまうとそれ以上にならない。君の好きなようにやればよいと思う」と背中を押してくれました。私が1だけを言っても、100くらい理解してくれる人で、本当に大切な人ですね。

濱田: シンガポールでの女性の社会進出について教えて下さい

井村:男性は兵役があり、2年間のキャリアブランクができるので、同年齢だと女性の役職の方が上の場合もよくあります。シンガポールは共働きが当たり前なので、メイドを雇うケースがほとんど。こちらでは、子どもに良い教育を受けさせるために父親と一緒に頑張って働く母親が多く、日本でよくあるように「子供の面倒をしっかりみる母=良い母」ではなく、「子供に良い環境を与えてあげられる母=良い母」なのです。だからこそ、シンガポールの女性は非常にパワフルで活動的な人が多い気がします。

※※こちらのインタビューは2012年当時に行われたものです。
近況及びプロジェクトの成果についてはプロフィールをご参照下さい。